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眼鏡っ娘萌え!

こんなことを書くまでもないのだが、いちおう書きとめておくと、お年玉も、誕生日にも、お金もお祝いもない。年齢的に与える必要がないのだ。どちらかといえば、年齢的に余裕であげる立場であるが、核家族社会だからその必要はないであろう。お正月というイベントが、核家族社会の一員として、お前も(筆者のこと)別のコミュニティを形成しろよ、というサインに読み取れて仕方がない。

現在が90年代でなくてほんとうにほっとしている。季節柄、初詣や家庭内での年賀状の再分配のフラグメントが発生しやすい90年代ほどではないにしろ、漫画もアニメも日本映画も私は好きになれない。架空の物語内で現実を律儀に再現してみせる理由が理解できないし、なんと言ってもマイノリティへの配慮が足りてない。かといってヨーロッパ映画は無職者の退廃しか描かないから、それはそれで閉塞的で息が詰まる。「漫画もアニメも日本映画も」日本文化は新しい人間を好んで描く。小学生か中学生か高校生が主人公以外の日本文化はありえない。フレッシュマンを嫌う私的には、閉塞的な日本社会だ。くたくたの衣装を着た、着た切りすずめの主人公を私は好む傾向にある。私の実生活もそうだからだ。

着た切りすずめとはいっても、俺って資本主義大好きっ子だ。私が「眼鏡っ娘萌え」なのもつまるところ「資本主義萌え」なのだ。技術力の向上が、その人物の看板である「顔」の上で展示されているのだ。そんなに想像力たくましくも資本主義が大好きなのに、私は資本に好かれない。資本に好かれたことなんか、人生の上で一度もない。「非社会的」「非コミュニケーション的」「社会主義的な生育環境」などが複合的に私の性質を縛っているから、資本主義に好かれないのかもしれない。権威主義も大好きだが、権威主義にも好かれない。このブログのアクセス数も実質「30」程度だ。私にはとことん能力がない。

受け取る意味のないお金は、私には受け取れない。「私はネット乞食なんでぜひWeb投げ銭してください!」とは私は主張できない。お金の代わりに物品をプレゼントされても腹が立つ。例え何年もひきこもっている弊害で、外出着を新しく購入しないから減る一方、常時室内で生活しているとはいっても衣料は消耗が激しい消耗品だとは言っていても、困ってはいても私には欲しい物品なんかない。欲しいものは、環境が欲しい。豊かな環境が欲しい。私に与えてくれるのならば、豊かな環境が欲しい。豊富な情報に、自由にアクセスできる環境が欲しい。例えば音楽。音楽を大量に聴ける環境が欲しい。編集された情報でなく未編集の質の高い情報に、大量に触れることのできる環境が欲しい。音楽の歴史を独自の視点から集めた一枚のコンピレーション盤ではなく、音楽出版や楽曲の消費の歴史に豊かに触れたい。

誰かが編集し加工した情報は誰でも手に入れることができる。その「誰かが編集し加工した情報」と同じ意味で、「誰かが」ではなく「私が編集し加工した情報」を売る仕事を私に与えてくれ!と私は主張しているのではない。そのような仕事に今すぐにでも就ければ、私の人生は大成功であろうが、そんな成功物語は私には無縁だ。ならばせめて「誰かが編集し加工した情報(操作)」でない世界に豊かにアクセスしたい。それが私が描く、世界観だ。

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