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ブログを書く快楽について

退屈なエントリーを書こうと思う。3、4日はそれで脱力感を肯定して凌ごう。脱力している。何を書いたらいいのか分からない。とにかく焦る気持ちを手放そうと、このエントリーを書いている。焦っても仕方ない。焦っても仕方ないが、生産性を高めなければならない。内容の無いブログエントリーを恥ずかしく考える気持ち、こそ恥ずかしい。恥ずかしいという語彙の選択は誤りかもしれない。私の気持ちにしっくりこないからだ。

そもそも恥ずかしいと思う気持ちがないからだ。特には恥ずかしいと感じる機会がない。私についての詳しい情報を相手が持っている、それに加え、その事実を不意に知らされたら、一瞬は恥ずかしくなるかもしれない。不意を突かれれば、私だって恥ずかしいかもしれない。そこは素直に怒りを爆発させても自然な場面ではあるかもしれない。言い換えれば、情報戦に負けて悔しいということだ。決して恥ずかしくはなく、悔しい。

生活上で刺激が少ない毎日だから書ける話題を持ってない。私は日常の煩雑さを処理する能力が低い。家族のみんながそんな傾向が強い生育環境だ。バタバタするのが好きな人たちだ。私も時間はたっぷりあるのだが、何の前準備もなくこのエントリーと向き合っている。そもそもエントリーを生成するという行為が複雑なものに感じ取れるし、エントリーを書いている今もその気持ち、言わばショックが隠し切れていない。

即ちエントリーを書いているのではなく、今現在も同時進行でブログ運営について考えている。「こんな無駄なエントリーをだらだら書いて、アップロードしても何の意味もないのではないのか?」そんな疑念が毎秒絶えない。他者を意識しているような、意識していないような、微妙な距離感で「日記」に臨んでいる。「場」は人類の誰もが意識する。文章を書く者は、自分の考えを純粋に書きつけているのではなく、「場」を想定して「場」に向かって文章を書きつけるのだ。

毎日ナンセンスなブログエントリーを、私の体内時計での一日の締め括りに、その日の生活のまとめとして、日誌の本日分を文字で余白を黒く埋めるように、ブログに向き合っている。その「日誌行為」で意識していることは、何とか検索エンジンで目立てないかな、とか、いつか毎日5000人くらい訪れるようになって欲しいな、とか、誰か雑誌に私のブログのアドレスを掲載してくれないかな、とか、夢想している。特にアクセスIP数が増えれば増えるほど、私にとって嬉しい状況であるのは確実だ。確実に関連した夢想なのだ。「アクセスIP数」を増やす目的で運営しているという帰結。

何かを掴み取りたくてブログエントリーを書いているのだが、自己満足は自己評価がしにくい。私には、自己満足しているのかどうかすら確証がない。満足していない。書きたいことが書けているとは思えない。それに加え、アクセス数が低いので自信喪失傾向にある。ネガティブアクセスでもアクセスアップは美味しいと思っているブロガーには、ネガティブアクセスすら得られないのだ。最近の私のブログを書くモチベーションとしている符号は、「自己増殖」だ。エントリー数が増えていく快楽に身を任せている。エントリー数が右肩上がりの快楽に身を任せてみる。エントリー数が増えていく快楽、エントリー数を増やしていく快楽。ブログを書いていない時にあっては、エントリー数が増えて行くのを見守る快楽。順調だ。

実情はそうも快楽でないが。エントリー数が増えれば増えるほどに管理がやっかいになる。やっかいだな、という気持ちが一ミリでもあれば生産性が落ちる。その生産性を妨げる、乱雑さを疎む気持ちに抗う快楽で、私はエントリーを投稿するのだ。私はブロガーであると同時に管理者である。私はブロガーである前にサイト管理者だ。私はサイト管理者である前に無職だ。無職だからなんとかトラフィックを増やさなければ、と強く思念し願う者である。

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