『蟲師』の語感を発端に考えた。
私、ただいまアニメ『蟲師』に萌えております。まず、タイトルがいいよね。語感にフェティシズムをほんのりと感じる。始めが『む』なのも『む』自体もいい感じだし、その次に続く『しし』もいい。
語感フェティシズムのキモヲタが私という人物かもしれません。言葉が好きだから。それがブログを書く原動力になっている。決して『俺の話を聞け!』というつもりでブログ運営しているつもりはない。言葉が好きだから、私はブログを書いています。
他人が、語感フェティシズムや言葉フェティシズムと私に対してレッテル貼りをされたら『お前は賢い読者だ!』と読者認定してやってもいいが、「『俺の話を聞け!』という原動力でブログを書いている独り善がりブロガーだろ、あんたは?」と暴力的に問われたら、私はそいつの死を願うし、末代まで呪いたい。というのは冗談だが、決して後者の『雑談フェチ』ではない。私が雑談に魅力を感じないからだ。
私がアニメを好きな理由もそこにあります。アニメが2次元かどうかは厳密には私には無学で分かりませんが、2次元と言われている『アニメーション』もしくは『絵』に『萌え~』な訳ではなくて、その動く物語世界の絵で表現されたキャラクターに注目しているというよりも、成人女性がアニメ独自の世界観に浸りきって(もしくは抑圧された感情を解放して)、現実社会ではありえない日本語の使い方をしている、その言葉の世界観に萌えるという理由からです。
でも本音を言えば映画の方が好きだ。ヨーロッパ映画を死ぬ程観倒せる環境が理想だ。アメリカ映画も好きだが、ヨーロッパ映画の方が文化の悲哀や退廃の雰囲気に浸ることが可能だからだ。寒々しい無文化の日本に居ながらにして。
日本映画も好きですが観る機会に恵まれていない。映画監督というより役者という側面からだととても鑑賞欲をそそられる。加賀まりこ、北島三郎、勝新太郎出演作品が特に観てみたい気持ちがある。言い換えれば、流行は映画からアニメへということかもしれない。ビジネスチャンスの間口も広がるしで。
それに映画には薄いものが濃く感じ取れる。アニメでは陶酔や高揚、言い換えれば『萌え』がきっちりと得られる。それにひきかえ、映画を嗜好する人は想像しうるが、映画に陶酔したり高揚したり萌えたりする人物は想像するのが困難だ。製作側はともかく鑑賞側については絶対にありえない。