内向的な活動と外向的な活動とを隔てる仕切り壁の存在
何も書きたくはない。何も話題にしたくはない。私に書くことも書けることもない。将来性もスキルない、それに加え、もう人間ではない人物だ。私は死んでいる。社会的に終わっていて、もう手を施す余地が無いのが私なんだから、私は生きてはいない。何の社会活動もしていない。それがもう何十年続いているといっても大げさではない。私の今住んでいる地域が、都会で商業的に活気があればまだ救いがあるが、そんな救いがどこを探してもない。
停滞している商業地域でどう生存できるのか?まずはこの地域から転居するのが、社会生活の第一歩だ。それを大前提に考えている。それが出来なければ、ここで腐っていくしかない。どんどん腐っていく。死肉は腐っていくに任せる。私は墓穴を掘り続け、自らの手で土葬し棺桶に眠っている。そして死肉が腐る前に、心が腐っていく。この地域は絶望的な地域だ。土地に縛られた職業の人間以外は誰もが住み着く理由がない。私のように。惰性で住んでいるのだ。それ以外で残るのは、サーファーだ。サーファーに都合の良い自然がある地域だ。
私は私の能力の無さを呪う。何をやっても無能力だ。何をやっても間抜けだ。限界にぶち当たってしまう。もうこれが限界だ。これ以上は何も書けない。何の話題も持ち合わせていない。私は私で勝手にスキルが身に着けばいいだけであって、それを話題にしようとは考えない。他者の誰であっても考えない。内向的な活動と外向的な活動とを隔てる仕切り壁は誰も越えられないし、越える必要がないし、越えるのは事実上不可能だ。私は何でも自由に書いている訳ではない。内向的な活動の上澄みを掬いとって文字に記しているだけで、それに特別な意味を付加してやろうと考えている訳ではない。