ブロガーは他者を無闇に分類するべきではない
話題がないということは人生を生きていないということだ。私は人生を過ごしていない。時間に耐えているだけで、何の知識も技術も吸収しない。拒絶し、拒絶される。時間に耐える行為だけが、私の友人であり身近に感じる。もっと残酷さがそこには足りていないのかもしれない。行き詰まっている閉塞感だけがあるが、言葉にはならない。言葉を喋らずに、抵抗する以外ない。
何も学ばないし、何も吸収しないし、何も呼吸しない。怠けているが、怠けていない。世界が敏感に感じ取れる。分類は差別主義者がするものだ。初めに概念を考え出し、情報を分類してみせる仕事を与えられている職業の人たちがいる。それ以外の人たちは、差別主義者でかつ読解力が低い。作業の効率化のにされた分類が、読解力のない、分類された背景が読めない日本人の手に掛かると、すべての他人を分類しなければ気がすまない事態が起こる。
全てに裏の意図がある。必要があって噛み砕いて分類する職業の人たちが居る。その文書や書籍がブロガーの手に渡ると、もっと細かく分類してやろうじゃないか!もっと分類を押し進められる余地があるじゃないか!という心理になる。これは違うだろ?元となった原点は、充分にねられているのに気がついていない人たちばかりだ。それ以上でもそれ以下でもないところに、オリジナルの意見を無粋に付加させて、原典の体型を『肥満』体型にしてはいけない。
『分類したがるブロガー』と書いたし『空気が読めない日本人』とも書いた。いつも話題を用意せず、毎日何も考えず無為に過ごしている。だから、冒頭で『日記』を書いた。この混沌さ加減をなんとかした方が良いのか?まったく私には解らない。ほんとうに、嘘偽りなく、話題がない。何かをコツコツと積み上げるのが私の性に合っているが、焼け石に水程度では、雀の涙だ。何を書いても一定数のアクセス数以上は望めない。膠着状態は、何らかの進展があるもの、とはもう出来ない。膠着状態はもうたくさんだ。飽き飽きした。