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お金が人格だ

お金を持っていない状態が続くと自然と自己評価が最低ライン以下にまで落ち込む。そのような人物しか犯罪を起こそうとは思わない。教育的資産も人間関係的資産も知識的資産も過去や現在に渡って持ち合わせていない人物は、世間的常識を超えて「自分は人間的にゴミのような存在なんだ」という強烈な思い込みを常時引き受けなければならない。その思い込みを無闇に刺激してはならない。

あなたが、他人を動かす側の人間として、社会的地位を笠に他者を抑圧すれば、攻撃の余地を与えているということだ。

あなたが、特に他人を動かす側の人間でないとしても、中立的な立場をに割って入る行為は生命的に危険だ。中立的立場というのは、間に入った両者から攻撃を喰らいかねない。中立的立場を取る人物というのは、「諍いを起こすような両者は、冷静な判断を欠いている大人気ない人種」だとのレッテル貼りを本人でも気づかずにしているのだ。

全ての諍いは「考え方の違いによる言い争い」だとは片付けられない。日本に住む皆も、自分の立場や利益の為に闘っている。

あなたがもし女性であったなら、「一般的に女性は攻撃的な言説を好まない」とするレッテル貼りがある。男性はそれと反対に暴力を好むとするレッテル貼りがある。しかし、誰も彼もが、私とってには暴力に依っているようにみえる。

恋愛も他者にはどんな関係に映ろうとも、私には暴力そのものにしか思えない。恋愛話は暴力論を論じているものである。神風特別攻撃隊的であり、英雄的である。男性に限らず、女性も自分を英雄に自分を仕立て上げる野心が強い。もしくは攻撃的でない場合は、植民地主義者的暴力主義が見て取れる。

言わば、「暴力か競争力か」のどちらかを選ばされるのが人類の宿命で、絶対に避けては通れない問題だ。

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