地域と経済との狭間に立たされた者の根深い鬱屈
『ひきこもり日記』のブログ日数を重ねるごとに、自分の文章が纏まりが保てなくなる一方で、根幹が決定的に瓦解しているような思い込みから逃れられない。足りないのは私自身の能力だ。自分を育む努力が原初から奪われているからでもあり、私自身の努力も機能していないのを強く感じ取れ、強い不安に襲われる。私には不安感しか豊富な資産を持ち合わせていない。味方は全くいない。味方を作ろうとは思わない。一番危険な存在が味方だからだ。ならば、敵を多く意識的に作らなければいけない、のか?
この地域は駄目だ。こんな地域に住んでいる奴にろくな奴がいない。まともに外出した記憶が五年以上も私にはないが、若者(だと思う)が経営しているカフェや雑貨店やバーや美容室やなどがここ数年多く作られ、長く続いているものも多いと思う。商売するには旨味がある地域かもしれない。遊戯的にお金を使う場所が、基本的にスロットやパチンコくらいなものだからだ。都会で成功しているビジネスモデルを田舎に持ち帰ってくるタイプだと思われる。いわゆる「故郷へ錦を飾る」か?それに、この地域は私の故郷でも何でもない。ただの交通に不便なだだっ広い、街外れに隔絶されている港を中心とした新興工業地帯の税収で成り立つ地域、なのかどうか正確には知らないし、知ろうとも思いたくない。引き篭もっていながらも長年住んでいる人間の皮膚感覚としては、そんな産業で成り立っている地域だ、と断言しても正確なところだろう。
人口が減らない社会構造が機能している地域なのは確かだ。産業形態に見合ったタイプの国立大学がある。その大学を中心として機能している地域だ。低学歴であれば、閉塞的な工業地帯で単純労働者として雇用される以外にない。だだっ広いだけが取り柄の地域なので先祖代々農業を職業にし、先祖代々の蓄えがあり裕福で、土地を切り売りして暮らしている人も多く見かける。私は単純労働者としての多大な不満が鬱積した家庭に生まれた身分の人間だ。父親は未だに「低学歴だから遥か年下の息子程の年齢の馬鹿に顎で使われる」というようなことを考えているような気配がする。
こんな人間には子供は育てられない。こんな者は家庭を持つべきではない。家庭を持たなく、金に汚く、友達も居なければ、資産家になれるチャンスもあっただろう。だが、土台が土台では、それは土台無理な夢物語だ。観念的に家庭を持ち、観念的に資産を無計画に浪費してしまう観念的な人間では何をもがいても無駄だ。長年に渡り、鬱屈し圧縮してきた濃密な不満だけを、心の拠り所とする以外はない。全く以って生産的ではあり得ない。壊すこと以外には何も成し得ない構造と機能を、先祖代々の負債として抱え込んでいる。我々は、生産的に鬱屈を溜め込み、生産的に社会を呪うのだ。不満を止め処なく生産する、能率的な純粋機械なのだ。鬱屈を信奉し、鬱屈だけが、私たちにとっての経済だ。