新聞各社がネット上で配信している記事の文体について
何か記事を残さないと不安だから文字を何か残しておきたい気持ちから書いている。何の話題もないツマラナイ男が惨めにも書いています。お酒でも飲んで気分を和らげないと、不安感が強く襲ってきてしようがない。気分を和らげれば万事OKかというと、そうも行かない。強い不安が体の内側から身を八つ裂きにすることもあるだろう。それは避けなければ馬鹿だと言われてもしかたがないことだ。どちらにしろ、人間はエネルギーで動いている。動力源と勢いを利用しない手はない。留まるのも多大な集中力と忍耐と審美眼が必要となる。
最近、文章と言うものが分からない。ネット上で新聞各社が配信している記事を読んでも、どうも抽象的な表現が多用されているようにしか判断できない。緻密な文体で機械的に感情に流されず、出来事を出来事そのものとして加工せずに、伝えるのがジャーナリズムだと思っていたよ。「なんだ、抽象的な表現は必ずしも悪とは言えないんだ!」と一人で合点して思ったね。そもそも日本語自体が曖昧で抽象的なのかもね。非常に人間臭い、臭いが強く感じ取れた。日本人に意味が瞬時に理解がされ易いようにとの、目的意識を明確に持っているのがジャーナリズムなんだね。何か罠に嵌められている気がするよ。目的意識があるってことは、その該当記事を配信する切実な動機付けをあなた理解して下さいよ、ってことじゃないのか?
そんな背後関係まで読まなければならないのか。ただ単純に、社会構造を鳥瞰して「今日はこんな出来事があったよ」と語る、儀式的で恭しくも傲慢な語り部の名残が、ジャーナリズムが分担させられている社会的役割なのかもしれない。
これからは、抽象的な表現を使って、自らの感覚や現在の心理状態を文章で表現をすることを恥じるのは止そう。