« こめかみの血管、足の甲の血管に負荷が掛かっている体調 | メイン | 新聞各社がネット上で配信している記事の文体について »

説明不足を引き受ける「覚悟」、もしくは「余裕」に似た何かを求める前進

私の現在の体調についてですが、たまに高血圧症状からか血管が軋んで苦しくなるが、もう大丈夫な気がする。と思わないとやってられない。なぜか昨日から突然このブログにおいてのみ、ブログの表示の一部、しかし重要なパートが上手く表示されないのも心苦しいし、仲間外れの目に遭っている被害妄想的先行きの不安感からの多大なストレスになるが、そのうち何とかなるさ。と思わないとやっていられない。

自分のブログのデザインを一番長時間目にしているのは私だろうが、正直、眺めていると気分が悪くなるデザインだ。もっとさっぱりして気が利いていて、単純で機能的な、使いやすく一目で理解しやすい、管理の手間が掛からないデザインに出来ないものか?私にはスタイルシートを弄ったり、デザインセンスを発揮する能力が無さ過ぎだ。整理整頓より捨ててしまえ!と思うし、ブログにおいても全開になっている私のだらしなさも、私自身がよく分かっているし、それを思うと気分が悪くなる。

どちらにしろ、文字をタイプし前へ前へととにかく、遠くまで進んで行かなければならない。それが私のイメージする自分探しの旅だ。過去ログを参照して欲しいが、私がブログを書くのは空のボトルに詰めた誰かへ宛てた手紙を、壜の口をコルク栓で詰めて塞ぎ海原へ向かって目一杯振りかぶり、遠投するかのごとくブログを書いている、と書いたことがある。インターネットの波間を漂いたい、とも書いた。検索エンジンからの私の評価はあまり高くなく、どうやら多分に目一杯に落ちこぼれの生徒かもしれないが、何とか検索エンジンからの来客が多くなった。充分にもう「ボトル・メッセージ」は拾っては貰えているものであろう。

検索エンジンから来る客層は好きだ。一瞥して去っていかれる関係だ。さっぱりしたお客さんで逆に気持ちがいい。読まれなくても構わない。ただ読まれるチャンスだけは他人より多く欲しい。検索エンジンさんにだけは、どうしても私を好きになって貰いたい。

次の段階のの目標として、記事を心理的限界を超えてタイプしつづけようと考える。前へ進み続けるイメージを持っています。「人生前向きに」という意味合いとは違って、「より遠くの地点を目指す目的地のない、純粋に移動距離の長さや身軽さや脚力を競う自分探しの旅」の意味合いを、記事を投稿しまくる行為に対して持たせようと考えています。

長文でも短文でも、「記事」としてより多く乱発して行くのが今後の目標だ。言い換えれば、短文であって説明不足を感じても、「一つの意見」として送り出すことへの耐性や心構えを身に着けたい。言うならば、説明不足を引き受ける覚悟をもっと決めなければ、ということだ。

スポンサード リンク

連絡先

  • blog@hikikomori.in
Powered by
Movable Type 4.261