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家庭内においてもインベスターにアピールしたり、競争社会を勝ち抜く交渉術のマニュアル化が必須の社会

文章がここのところボロボロで意味が通っていないのは、自分でもよく分かっているが、なにせ偏頭痛がなかなか治らないで尾を引きずりまくるので、イライラしてしょうがない。即興で書き上げた記事をより完成度が高いものへ体裁を整えるべく、自己批評の眼で読み返したり、語彙の選択が甘い仮置きの箇所を取り替えたり、するのが面倒くさい。

とにかく頭痛が酷い。より正確には、頭痛を気に病む心労の方が酷い。やはり、それを少しは上回るくらい、偏頭痛に悩まされる。身体の循環機能が停滞しているだるい重いが、偏頭痛が脳に張り付いて固着しているかのように痛みが感じられて、嫌なそいて不吉な痛み方がする。例えるなら、私はプールで足がよくつることがあるし、それの延長上でプールで息を止とめると頭がキーンとすることがよくある。それに似ている痛みだ。カキ氷をペース配分を考えずにかき込んだときのキーンと同じ状況なのだろうが、プールでの方がそれが緩やかに起こったものだろう。脳に金属的な痛みが根付いていて怖い。今は治まっているが痛みの元は残っているのは感じ取れているので、まだ偏頭痛は偏頭痛だ。

身体の循環機能が停滞している話に戻るが、これも疲れの一種だ。疲れにもいろいろある。身体全身に乳酸が溜まって困る疲労も経験したことがある。これは、お風呂に浸かるのを毎日の習慣にすれば直るが、お風呂は好きじゃない性格かもしれない。シャワーの方がやることが限定されるので認識しやすい行為だ。私にとってはシャワーは単純労働だ。一般的にどうお風呂に入るのか私には分からないし、テキトーな家庭なので、先ずお湯を被って汚れをお湯のみで落としてから湯船に入る、湯船でうとうとしだす。本格的に眠くなる。そのまま上がる。何かそれではもったいない気がして罪悪感がして眠りに入る。ただ要領が悪いだけかもしれない。湯船も汚れるだろう。がやはり冬などは先ず身体を温めたい。そして罪悪感の連鎖だ。二度手間だ。早めに石鹸やシャンプーなどで脂の臭いを取らなければならない。疲れえているときはいつもそうだ。それに用意されている石鹸やシャンプーなどが私の肌に合わない。何もかもが未整備な環境で嫌にさせれれる場所でしかない。

とにかく湯船に浸からなければいけない身体状態なのかもしれない。疲れている。この特には、足の裏が熱い状態は子供の頃からの悩みだ。靴下も靴も履くのが嫌な日がよくあった思い出がある。そしてセットでそんなときはおねしょもあったのだろう。高学年まで私はしてたし、今もその傾向がある。酷いときは一時間おきに尿意で目覚める。最近はそうだ。疲れているので寝たいは頻尿だは動きたくないは身体を休めたいのに無理やり何度も動かなければならないは睡眠が苦痛だったし、最近もそうだ。高学年までの夜尿症で親には酷くというか揶揄というか言われたので憎しみと自信喪失があった。ただ単に身体が疲れていただけだ。今も喉が渇いて困っているし、水分を取ると循環機能の低下から身体がだるく重くなる。全ては水分を控えれば済む問題かもしれないが、水分を取らなければこの疲労は癒えないが、水分を取ると疲労が増す。

育った家庭の話を聞くのもするのも私は一番嫌だ。育った家庭の片鱗が見え隠れする話も激しく嫌っている。これはどうにもならない。

家族内でも競争社会だ。それは私のような複雑な体質のものにとっては大きなハンディである。家族内を子供ながらに生き抜く処世術のマニュアルが今後の社会では必要悪だと強く思う。家族はインベスターだということも強く意識していなければ生きていけない。結局は媚びへつらい脅しをかけたり、なだめたり、すかしたり、駄々を捏ねたり、強請ったり少しずつ盗んだり、する以外生きていく術はない。私はそんな面倒なことはしたくなかった。結果がひきこもりだしニートだ。家庭内でもインベスターにアピールしたり、競争社会を勝ち抜く交渉術が必要なのは確かだ。そうでなければ生きていけない。普通の人は普通に生活の上で、身体に染み付いた知恵である。言語化はされてはいなくても、直感で理解された社会生活の上での共通認識であろう。それから判断すれば、私は普通より知能が劣っているらしい。

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