私は書物から必要とされていない存在だ。
疲れている。抵抗できようもなく疲弊している。さかのぼって3つの記事には(いくつか飛び飛びで書きっ放しの文章もあるんだが少なくとも)修正を加えないと自分で読み返しても意味が通じていないと感じる箇所が多くある。どうせ訪問者は過去ログなんて読まないのは知っている。最新記事しか読まないのは分かっているが、どうにも書きっ放しのまま放置プレイは心苦しい。まぁでもあれだ。あれあれ。50%から70%くらいの完成度で満足しないといけない。私の自覚やブログ方針の問題として自分の内面に語りかけている。どうせ、他者には自意識過剰でモラトリアムや思春期の延命ブログで微塵の有用性が認められない文章だと思われているんだ。反論しようにも見えない敵、もしくは存在しない敵には歯向って行きようもない。根本的な問題としてその辺は覚悟を決めて腹を据える以外の文章テクニックは存在しない。
まじ疲れた。書きっ放しのまま放置プレイの心苦しさに。テーマを設けて一つ一つそれなりに完成度やテンションや質やモチベーションを保持する方向で生産的にブログ記事を残す方が検索エンジンへの受けもいいだろうしな、と悩む。悩みに悩みます。自虐的に私はなんて間抜けなんだと何度もしつこく書いているがそれには意味がある。他者には「他者には自意識過剰でモラトリアムや思春期の延命ブログ」の証左だと指摘されうる箇所かもしれないがそれはまったく誤読している。その程度の読解力では何を読むにしたって役に立たないだろう?とナンセンスながらも少し煽ってみる。
意味は(PCから男女スキャットが入った映画音楽風のイージーリスニング・ボッサギターBaden Powell/Ate-Euが聴こえてきた。その次の曲はOscar Peterson/Sunnyが聴こえてきた。くつろいだいい気分にさせてくれる。少し数時間休憩しよう!いつもは一気に書き上げてポスト投稿している。文章のことばかり考えていると疲れる。絵でも描いて一日の日記代わりに投稿した方がよっぽど健康にいい。文字は疲れる。猜疑心まみれだ。)
文章を中断させると話の流れが途切れてしまった。結論として愛読書の話に持って行きたかったのは覚えている。
こんな本が読んでみたい。人類の歴史は豊かだ。現在の日本では失われた、人文の豊かさを取り戻すために私は本を読みたいという主張が書きたかった。だが、私に本なんて必要なのだろうか?地域の図書館に置いていない本。働いていないので物理的に買えない本。働いたとして、低学歴の底辺労働者の身分不相応な本たち、そんな本を読んでも完全に意味がない本たちについて書きたかった。そんな流れを作りたかった。とにかくリストアップだけはして読んだ気になろう。絵に描いた餅だ。全てが、絵画も含めて、書かれたものは「絵に描いた餅」である。ただ資産的価値があるか、消費される価値があるか、資料的価値があるか、それらが全くない、私みたいに魅力に欠けるものであるかの細塵な差異にすぎない。魅力があるなしは特に意味はない。どちらが上とか価値があるかとか興味はない。
とにかくリストアップの為のリストアップである。
名前を挙げるのは卑怯な手法である気がしたのでやっぱり止めにした。卑怯(自分の文章はこんな文脈で読まれたいという自己申告的表層行為や関係性の強調)というか、何か違うなと。勝手に読まなかったり読んだりなんだりsecondaryすればいいと思う。私には必要がない。必要がないというか読む権利が奪われている気がする。私は書物から必要とされていない存在だ。