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国際博覧会繋がりでエッフェル塔を想起する日々を送っている

何も書くことがない。何の本も字も読んでないので何の文字による感慨が出てこない。ただ文字を書き付けたいだけだ。限界を超えて文字を書き付けたい。文字を残す以外何の生命も生気の痕跡の印もないのは忍びないからという理由ではない気がする。それを確かめる為にも文字を書きつけておきたい。

どうせ何を書こうと他人には理解されない。その前に文字を読まない生活を送っている。厳密には文字は読まないわけではないが。ジャーナリズム的な文字列や事務的な文字列は読んでいる。それ以外は全く頭に入ってこない。困ったもんだ。なのかもしれない。なにせブログを書きまくりたいのだが話題がないという間抜けさ。ジャーナリズム的な文字列はあまりにも事務的と書いたが、フランスでは事情が異なるのかもしれない。以下妄想してみる。

フランス人は理屈ずきな国民性だ。屁理屈的日常会話を交わすのも好き。フランスではジャーナリストも例外ではない。他国に比べて愛国心も強い。フランス哲学も自国文化かつ実用的な言語技術として誇りに思っている。フランス哲学の影響が強い語彙の選択がなされたフランス・ジャーナリズム。以上妄想終わり。

本も捨てたものではない。がここは日本だし、私がひきこもりやニート生活に区切りを付けるとしたら、本は全くの無用の産物。でもまだまだ、ひきこもり型ニートは続くよ何処までもという悠長さから大きく隔たった異世界の片隅で膝を抱えながら、何かに萎縮しつつ時間が過ぎるのをただ待っている。最近、エッフェル塔の存在が気になる。愛・地球博を毎日意識していたら、国際博覧会繋がりのエッフェル塔が私の気持ちの中でぐんぐんとイメージ的厚みを持って建立されてしまった。近代化社会の始まりであり完成直後から即、遺跡的建造物であり、全くの無用の産物。

エッフェル塔について書かれた本をいつか読みたいが、これから先の人生でそんな日がいつか私に訪れるのであろうか?たぶんそんな日や機会は未来永劫に渡り訪れないであろう。

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