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ブログ論

緊張して寝られないが眠くてしょうがなく、神経を休めたい。そんな緊張状態にあると、聴覚への負荷がある。視神経が疲労するのは私は日常茶飯事だが、最近は音に敏感だ。敏感すぎて音を閉じそうになる。鼓膜辺りの筋肉の緊張なのか、欠伸をすると耳が一時的に鈍感になる場面と似ている状態になる。緊張を緩めて眠りたい。眠いし眠りたい。

歯も痛い。虫歯なのか知覚過敏症の問題がない状態なのか?分からないから果てしない不安と恐怖だ。もう痛む歯はボロボロなのかもしれないという疑念と萎縮。たぶんは、季節の変わり目だから緩やかで全身的な体調が悪さの歯痛という顕著な感覚の突出だ。サボりたい。ブログなんかサボりたい。気力が湧かない。少し休ませて欲しい、というより、寝かせて欲しい。

今日(9/1)は前日の涼しさと打って変わって、手の平の裏と表のように、真夏日の暑さに底なしにこうべ項垂れた。これには脱力した。予期した秋の気配は何処に?なぜネット上で誰も読まない日記を書こうとしているのか分からない。しかも、一日一記事は自分の痕跡をまだ塗りつぶされていないまっさらな一日の始まりの指を朝刊で真っ黒に汚すように、一日をブログ記事でカレンダーにバツをつける様に、一日づつ規則正しく大切にいとおしく過ごしたいと脅迫観念的に考え気に病んでいる。

無気力だからそんなたわ言しか言えないんだ。私はバカすぎる。世界はそんなに単純ではない。清廉潔白さや純朴さを良しとするのなら自殺するしかない。何かをやり遂げなければならないのは、何かをやり遂げなければならないってだけだ!ブログでも何でもいい。結果を出さなければ無能だから結果を出すのだ。ブログ記事という結果でも何でもいい。目に見えないものは悪だからだ。代案無き批判はただの無政府主義者でしかない。人類の知恵や営みに反する破壊の為の破壊だ。純粋破壊行為だ。

人間は何も成してはいけない。自主的な行動は悪だ。ただ自分より大きい漠然とした何かに従う私(この「私」は私ではない。私と対立する何者かに主体を与えてみた。)こそが善だ。よくよく考えてみると、それはそれで正しいのかもしれない。こうして書き記すと私の考え方より賢いし賢明に思えてきた。たいぶ論旨が逸れていった気がするが再検証はしない。ただの思考の流れに身を任せゆらゆらぷかぷか筆の流れに添ってつらつら書き綴っている。ただ単に、秋の寂しく乾いた空気が締め切ったこの部屋にも隙間風的に迷い込んで私の生活を快適にして欲しいだけだ。そんな一縷の希望に賭けるしかない。

どちらにしろ気分は落ち込んだままだろう。快適だろうが不快だろうがどちらであっても。何の希望もない。この土地に何の思い出も思い入れもない見知らぬ土地だ。いままで住んだ中で最低に劣悪な住環境だ。今日も痒くて痒くてしようがなかった。緊張して眠れないしで苦行でしかない。家の近所は村社会でしかない。土着民だらけだ。2ちゃんねるより卑劣に絡んでくる輩だらけだ。家の中に居ても生活感や人影を見てこそこそと絡んでくる。どこにもかしこにも安らぎの場所はない。家の中だろうと緊張する。家の中だからこそ「私」の尊厳が守られない。インターネットだからこそ「私」の尊厳が守られない。どこに居ようと同じことなら、とにかく書き続けるしかない。それこそが唯一のブログ論だ。

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