普通の日本人の生活観に憧れてはいけない。騙されてはいけない。
あまりにも頭部とその内部に夏の熱気が篭る。頭部が熱い。やり切れない。夏の暑さに耐えられそうもない。頭がぼんやりする。夏に耐えるだけの生活なんて社会性もなければ人間性もない。暑い。サウナ状態が一日中何日も続くのだから私には耐えられそうもない。夏に耐えるだけの生活から逃げ出したい。あまりにも熱気に包まれている。脳がカンガンする。考えると余計にぼーっとする。夏に耐えるだけの環境に住まうしかない。住みたくもないし、逃亡したいが、一時的に逃げ込む場所もなければ資金もない。我慢する以外ないが、その我慢がならない。我慢できない熱気と咽る返るような重みを感じる空気を呼吸してやっとなんとなく時間を過ごす目的のためだけに時間を過ごす、何も考えず夏が通り過ぎるのを待つ。考えられない。頭が熱気でぼーっとする。頭を使えば使うほど脳の熱量が増える。熱中症の一歩手前なのか?正確には解らない、倒れるまで頭を使ってみないと。考えてブレインダメージを負うのもバカらしい話なんで、休むしかない。時間の無駄使いには無駄に気持ちが焦る。時間を無駄に使っては非人間的だが、これ以上体に無理を掛けるのも非人間的だ。私は人間的な生活を送っていない。蒸し暑すぎる。蒸される。「脳味噌の蒸し焼き」という料理名で呼称される一つの被調理物でしかない。考えれらない。休みたい。脳を休ませたい。冷気を当てて休ませたい。しかし、休ませても仕方がない。休ませる手を止めた瞬間に熱気で蒸される脳。脳に負荷が掛かっている。文章がボロボロだ。私の書いている文章はボロボロにボロボロでボロだ。そんなに細かいたくさんの手順は踏めないのが辛い。文章は読み直し修正されるべきだ。10箇所以上は全ての記事において、そうして手を入れたい。集中力が保てた日ほどに、直す箇所は少ないし、完璧な日もあるにはあるが、頭がぼーっとした状態では無理だろう。それが悲しい。一気に書き上げ、アップロードし、読み返しはするし、手を入れたくもなるが、一つの文章の全体像が見えていない。私は一度書き上げた文章に手を入れる資格を失ってしまった。そのまま置き去りにする以外ない。手が回らないからだ。一気に書き上げて、後の時間は死んだように夏にしんなりとしおれて過ごす。意欲も身体もしおれている。ここで無駄に活発に元気よくすると体にダメージが来るだろう。はっきり目に見える形で訪れるだろう。隣り合わせな予感がする。限界と背中合わせなのがはっきりわかる。背中で限界の体温をうっすらと感じ取っているからだ。無理は出来ない。無理して身体の限界が目に見える形で訪れる方が、私の努力がアピール出来るのでその方が勇敢なのかもしれない。私は暑いのを感じる。頭もぼーっとする。でも、そこまでひどくはないかもしれない。少しずつ工夫している。工夫をしなければバカだ。限界を感知できなければただのバカだ。私は私の限界を知っている。そして、限界を超えなければ知性の敗北である。私は低脳だから敗北している。人間性を欠いた生活環境で、着ている服がどんどん破れて機能しなくなる。ここで縫ったり工夫すべきなのかもしれないが、捨ててしまう。下着もしっかり快適に機能するものを私は所持していない。がしかし、無計画に無駄な出費をする訳にも、簡単には行かないし、そもそものところ、外出する前向きな気持ちも起きない。賭けてもいい。部屋の中より外気温の方が断然低いはずだ。熱気が篭りやすく逃げにくい、パソコンの放熱量も多いは照明熱も、蛍光管が剥き出しであるし、垂れ下がっているので暑い。しかし、照明を点けなければ、液晶モニタの眩しさが刺さり目が異常に乾くのが、この上なく不快だ。そう考えると、この蒸し暑さは自分で招いた不幸なのかもしれない。社会人であっても、もしくは社会人だからこそ、ネットに触れないで生きている若者も多く存在するのかもしれない。世の中が私にはよく理解できない。世の中は分裂している。分裂しているだけで、分類し目次を付けることは難しい。未だ、私は分類に成功している日本人を見たことがないし、読んだことがない。世界はただ分裂し、とりあえずグループで一時的に固まっている。それは分類を与えて容易に読み解ける、単純な事象ではないはずだ。私は私で生活に耐えながら蓄えるしかない。知識はすり抜けていくが辛いが仕方がない。知能が低下していく一方だ。全ての知識が私の心に打ち響かない。文字文化が脳を擦り抜けていく。日本語とは何であろうか?私には日本語が何であるのか解らない。意思伝達手段でもない。意欲が奪われる構造の生活しか私には組み立てることが出来なかった。そんな人生だ。せっかく夏だから、愛知に9泊でもして『愛・地球博』に9日連続で通い詰めたい。せっかく夏だから、ビアガーデンでビール飲み放題の生活をしたい。いずれも、私には贅沢だ。個性が尊重される時代だからではなく、私は大衆的ではない大衆に烏合しない生活を送っている。全く個性的だ。ブログを書いて、全くお金を払う行為に欠けた毎日。ここから社会性を取り戻すには、やはりお金と落ち着きと社会性が必要不可欠だ。どれも私には欠けている。何とかして、無い知恵を振り絞って、知識を総動員して、身の回りの環境を整えようと思う。普通の生活に憧れるのは止めよう。普通より随分と低い水準にあるからだ。陥没している。頭一つ出ていない。窪んでしまっている。とりあえず耐えるしかない。意識をしっかりさせて、普通の日本人の生活観に憧れずに。騙されずに。意識を強く持って。これから果てしない長期間を耐え忍ぶしかない。