私たちは生まれながらに旅人で未だ旅路にある。
勤勉な日本人たちが唯一、自分や自我を開放する貴重な、楽しみにしている場面や場所について考えてみた。考えてみただけで答えを用意するのは、遠慮して置くことにする。ネタ切れが激しいので、ブログ記事の生産ラインが寂れてしまっている。不景気に身をつまされる。何とか話題を搾り出さないと、ブログ人生の瀕死の危機の訪れの足音がすぐそこまで迫って来ている。
今日は大雨が降ったのでいい昼寝ができました。雷雨に感謝します。パソコンは、睡眠時も点けっぱなしにするものではない。チカチカと光が点滅して鬱陶しいは、ああ、これは最近は全く気にならないな、ハードディスクのガリガリやカリカリやカカカカという重かったり軽かったりするディスクへ情報を書き込む音。というよりも、最近はここのところずっとインターネットラジオをイヤホンで聞きながら眠りに入るのが習慣となっている。24時間ライブ放送をしているノルウェーのラジオ番組が今のところ、一番の私のお気に入りだ。私は人の声が好きだ。だめだ。文章が続かない。何の思い入れもないから文章が繋がって行かない。
雨の日はよく眠れる。人の気配や騒音から雨粒の連続によるカーテンによって、厚く隔たれるからだ。細い無数の雨粒の柱による厚い壁。雨粒の音による消音や気配を消す効果。乾いた日は人との距離が近すぎるのだ。そして今日は、雷が鳴ったので慌てて素早く、パソコンに繋がっているケーブルの内、主要な2つの基幹である、電源とインターネット接続のコードやケーブルを抜いて、家の傍のアスファルト道路の脇に建つ電柱へと繋がっている二つの源からパソコンを孤立させた。この孤立により接続依存症のテクノストレスから開放されてスッキリした気分になる。
ここで同時に、乾いた気候の日だったら不安が芽生える場面だ。「どこにも繋がっていない」と。雷雨に感謝します。私は音に敏感だから本当に雨の日は救われる。楽しそうな子供の騒ぎ声は気にならないが、それ以外の音に対しては激しく緊張感を身に覚える。音による緊張感から緩和されたい。睡眠不足の日が連続したので、今日は睡眠の不足のから解放された心安らかな一日だった。
しかし、単純に安らいでも仕方がない。文章や意見や主張や馴れ合いの、文字が心に浮かんで来ない危機意識が強い。文字のない世界が、私の眼前にフロンティアとしての荒野が広がっている。この無駄に広大な荒野を整備するのは私一人の役割か、と思うと全くの取っ掛かりのなさに脱力する。ゴールドラッシュとか作業着の製造販売とか牛の放牧とか単純明快な目的意識が、原初から奪われている喪失感がノスタルジックな気分にさせる。まあ、でも、ノスタルジーに浸る必要性は全くない。
ノスタルジーを煽る、切ない音楽は私の好みだが、それと事の初まりから奪われているノスタルジーに、浸る時間の無駄遣いはまた別の問題だ。私はノスタルジーに騙されない。目的を持って定住したり移動したりするんだ。文字はある程度書かれないといけないので、ある程度の量の日記記事を書いて、アップロードするのが安住の地だ。それ以外の、未だ書かれていない部分は未だ旅路にある。私たちはみんな生まれながらに旅人で、ストレンジャーだ。