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内面の吐露にではなく言葉の吐瀉に内面がある

日記だ!日記は書かれるべきである。それ以外にどんな世界観を提示できるというのだ?そうだ、やはり日記は書かれるべきである。日記意欲減退を捻じ伏せて、言葉を吐瀉してその吐瀉物で足を滑られせ後頭部を打ちつけようが知ったことではない!言葉は書かれる為にある。それ以上の意味はもはや期待しないのだ。ただただ、ただただ、タイピングする。

言葉もタイピングも滑りに滑る。物語が加速度的に終わりへ向かって突進しているのではなく、片足を速い速度で滑らせて身体が45°縦方向に半回転し、背中や後頭部を打ち付けそうになる速度に戸惑いながら、何とか首を捻り重力方向を見据えようと必死にもがき、まずは地面についた手の平が滑って手首を壊し、次は肘を打ちつけ肘の痛みが神経を介して全身へ波及し、次は、肩を犠牲にして頭部を守る自己犠牲的防御を試みるも、弾力がついた首筋が振り子のように反発して余計に速度を蓄えて、肩を打ちつけ側頭部自ら地面へ叩きつけにいく。

速度は誤魔化せない。速度に破壊されるのだ。世界観の全ては速度に壊滅へ追い詰められてしまうのだ。滑った文章に頭を捻ったら思考回路が疲れた。言葉もその場にスピードを伴って留まろうとするから私はその場に海老のように屁っぴり腰を打ち付ける。私は腰を打ち付けたいのではなく、前へ進みたいのだ。前を希求する欲望が強くある。前へ前へ。

気温が暑すぎるせいか、ミスタイプが多くて文章が先に進まない。頭部が自らの湯気で茹だっている。蒸し暑すぎる。腹を下したみたいだ。

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