私は没個性的に何気なく散歩しているタイプのブログの書き手だ
参加するためのブログに飽きた。参加するためにブログを書いたり読んだりするのに疲れたし、少しの意味も見出せなくなった。神経が疲れるから。騒々しい。ブログは騒々しい。アクセス解析に誰かの足跡が残っているのは騒々しくはない。土足で私の部屋の床面に足跡で踏みつけにされている風な心理的重圧は感じない。
アクセス解析なんて見なければそれで終わりなんだし、アクセスした形跡を残したくないタイプの読み手も存在するだろうとは想像可能だし、そもそも私のブログが他者に読まれているのか読まれてはいないのか、確認することは難しい。もし、アンケートを取って私のブログの読み手からの受け入れられ方を種類別に数値化や現前化されても私は数字を信じない人間だ。
私は数字なんか信じない。テストか小論文を書かせたい位だ。もしも、私のブログを読んでいるとラウドに主張する他者が存在したとしての話です。私のブログは読まれない。私すらも私のブログの読み手ではないからだ。
書いて他者の視線に晒すことで学ぶために書いているのであって、視線以上の反応は騒々しい。「他者の視線に晒す」という表現は特に何の意味もない表現だ。内面をブログ上に晒すといっても、裸体を公衆の面前に晒すのとは違う行為だ。ただ私は、私の好きな服装でその選択に誇りを持って、服を着るということについて考えて考えて考え尽くした上で、人通りの多い場所に出かけている状態なだけだ。
私は歩いているだけだ。立ち止まって歌やギターを聴かせている訳でもなければ、募金活動している訳でもなければ、アクセサリーを販売したり、占いを販売したり、倒産した会社の在庫を安く買い叩いて路上で売っている訳でもなければ、虚無僧の格好で宗教心を侘び寂び的に煽り小タイムスリップの対価に小銭をせびっている訳でもない。私はただ普通に人ごみの中を歩いているだけだ。
アクセス解析によれば人ごみですらない。がそういう意味で言っている訳ではなく、アクセス数の多いか少ないかや内容を読まれているかどうかは措いといて、除外して、ブログがたくさん存在する人通りが混雑している道(インターネット)を普通に服を着て、手持ち無沙汰にぼけーっと歩いているだけにすぎない。私は無目的にぶらぶらと人数に隠れて没個性的に何気なく散歩しているタイプのブログの書き手だ。