「一般的」「社会的ルール」「俺ルール」という言説に死を宣告する試論
全てのルール制定者はバカだ。「俺ルール」の制定者も同等にバカだ。私はそんなタイプのバカには断固抵抗する。例えば、社会の縮図のモデルとして、私がゲームをプレイするとして、プレイ中に何を考えるかといえば、
1. 蓄えることが出来るものは何が何でも、他者よりもより多くの物資や金品を蓄える。蓄える退屈に生来の反逆精神を発揮して、耐えて耐えて耐えて蓄えまくる。
2. ルールの隙を突く。ルールの弱点を突くことに躍起になる。
3. 第三者にはふざけたプレイに見えるプレイをする。わざと積極的に死にに行くなど怠慢なプレイをする。ゲーム中にさえ「勤勉さ」を発揮するなんて馬鹿げている。いかに失敗する種類を数多くコレクションしたのかが、私のゲームの目的であり成果であり達成感や満足感が得られる。
というよりも、私は家庭用ゲームは家庭で禁止されて育ったクチだ。ニートで暇すぎるからフリーのオンラインゲームに手をだそうと思ったが罪悪感がまず先にある。
それすらからも自由でありたい。ルールのお仕着せ自体が疲れる。全てのタイプのルールの脆弱性は第三者の視線に晒されるべきである。独り善がりなルールだと制定者の人格攻撃も絡めて指摘するべきだ。
私は「ルール」の崇高さには興味がない。「ルール」が最高の生産性を発揮できる環境を継続的に実現している状態が崇高なのであって、「ルール」は所詮カレーライス付き福神漬けでしかない。
あの工業的な「赤色」を見よ。成長性が無限大の大いなる可能性に満ち溢れた輝かしき未来、近代社会工業化社会を象徴するソウルフードがカレーライスなのだ。私はそんな福神漬け的カレーライスは絶対に口が裂けても食さない。
ルールとはその程度の知的水準のものでしかない。