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自立した生活の基盤を私は欲しい。

臍の左側へ行ったアバラの際の辺りの内臓がしくしく微妙に痛くて気味が悪い。アバラが内臓に食い込んだ、だらけた姿勢で時間を気にせず一箇所に座り続けているせいかもしれない。体の左側を下向きの姿勢を好んで寝返りを打たず寝続けているせいもあるかもしれない。精神的ストレスが大きいかもしれない。人生をこうしている間にも無駄にしていることを今日は思い知らされた。

身辺整理を気紛れに試みたからだ。たくさんの要らない手紙などの書類をシュレッダーに大量に掛けた。シュレッダーは数年前に自分のお金で買った私の所有物だ。家族は大雑把に千切って捨てているのを見た。その家庭の習慣を脱するために買ったものだ。それもずいぶん迷って買った。何を選ぶにも悩む。私はどうしたら良いのだろうか?今日も随分と悩んだ。何も行動が起こせない。生活する意欲に私の人生は大きく欠けている。そう自虐的に考えたら上記に記した体の左側の内臓が痛い。

胃腸が痛いのか肝臓が痛いのか膵臓が痛いのかは分からないが、ストレスで胃腸が痛くなる感じでは場所は、なさそうな気もするが明らかにストレスによる内臓への負担には違いない。胃腸にストレスが掛かっている感じに似ている痛みだ。激しい痛みではなく鈍い、痛気持ちいい痛みだ。

眠い。眠気を感じる。寝てばかりいるじゃないか?自分でも怠け者だと思うのは思うが、もっと身辺整理を続ければ少しはお金になるのではなかろうかと予測されるが使わなくても趣味で買い集めた物を安価で叩き売りするのも大変に忍びない。

それにこのレコードはどの店に売りに行くのが適当なのだろうか?私が住む地域では適当ではない。がでも、何か売る行為で関係性を繋いで行けないものだろうか?と少し考えた。アルバイトの話をしているのだが、そんなに行動力のある性格ではないし、今の均衡した不安定で安定したひきこもり生活の生活習慣を乱すのが怖い。とりあえず、身辺整理を試みている。捨てすぎないように配慮しながら。ここ数年は生活に不必要な贅沢品は買っていないので雑然とした部屋が片付くことを願う。それだけが私の願いだ。シンプルなひきこもり。シンプルなニート。

果たしてこのレコードは処分してよいものだろうか?勿体無い気がするし私の精神安定剤にもなってくれている。60年代フランスのポップミュージックのEP盤(海外に行った事は無く日本で買ったものです)(や日本の60年代のEP盤)などを少し持っているが、これは邪魔な品物なのだろうか?デスクトップパソコンも身軽な住形態には重荷以外の何物でもない。身軽になりたい。邪魔な物で溢れかえっている。どうも出来る能力が私にはない。私は無能力だ。基本的には一つの場所に落ち着いていられない性格だと思う。

オタクであると私は私自身について思うが、私はオタクではないとも思う。物を管理する能力がゼロだからだ。適度に情報を楽しんだら他の必要としている誰かに譲りたい、とは考えるが物々交換などの商業活動が苦手でもある。なら初めから物を買わなければいいと最近は考えている。消費できる物以外は品物を買いたくない。しかし、アンティークは好きだ。だが、アンティークは処分に困る。気軽には捨てられない。

その前に最近は外出していない毎日。どうしたらいいんだ。バイトをして生活レベルを再び向上させることを考える局面に私の人生はあるのだろうか。追い詰められているのは追い詰められている。強い目的意識がなければ何も出来ないという思い込みがあるが、思い込みなんかではなく、それは絶対に間違ってはいないが私を悩ませる。

私は何の結果も出せない生産性もない人間だ。今日はそう思い詰めもし、身辺整理の心の余裕も持てた一日だった、がでも、無駄な金銭消費をしているなと気分が大分落ち込んだ。が落ち込んだ内容を落ち込んだそのまま忠実に、一日の気持ちの移り変わりをなぞる様に書き記していくと気分が和んだ。

自立した生活の基盤を私は欲しい。

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