暑さに生きる気力が削がれるし、皮膚が自らの手で削がれる
何もかもにおいて無能力さを発揮する人間が私という人間だ。それを思うとおかしみに瞬時に浸れるように最近はなった。他人事のように笑える。その「他人事」も他人を見下した態度というより何をやっても失敗ばかりやらかす風貌からして冴えない駄目人間が主演のコメディ映像作品みたいに笑える。愛着を持って駄目人間さ加減を体感エンターテイメントとして客体的に鳥瞰しつつ楽しんでいる、という趣で。
人生は長い。時間的に秒単位で退屈をやり過ごそうとすると気が遠くなる程の時間イコール人生を無駄に真っ更なまま湯水のように使い捨てている。何の意味のない時間を過ごした記憶が刻まれないままで使用されたことになり思い出が刻まれたものとして現像された未使用のフィルムのようにな人生の思い出。または「ブランク」の思い出。「ブランク」もそれなりにノスタルジックだし笑いのネタだしこうして記述できもする。私に関連する何もかもが無意味だ。意味をなさないナンセンスさ。
しかも、「ナンセンス」さを必死に物語化歴史化して記述しなければ、脳内が別世界にワープしたキチガイ視されてしまう恐怖に怯えながら毎回必死に追い詰められて嫌々ながら物語化作業をしている『ひきこもり日記』にももう飽きがきた。どうでもいい。私なんか死ねばいいと、またもや他人事のように思うに至ると心が休まるし大きな気休めになる。ここで他者に共感を求めるのも卑怯な手法だという気もするが、誰でも「死ね」「死んでくれ」「死ねばいいのに」と思うことや独り言を思い出し笑い的だが真逆の感情から呟いてしまうこともあると思う。
この場合の死は自分の手や経歴に汚点を作ってまでも猟奇的に殺人がしたいわけではなく、憎い他者の身体を破壊したいわけでもない。自分の目の届く範囲から「憎い他者の身体」を消失させたい願望という程度の意味しかない。別の視点からもうひとつの別の言い方をしておくと、その該当する「憎い他者」の私を押しのけて踏みつけにしてまで這い上がろうとする野心や浅ましさが偶然にも機能した場合の嫉妬や怒りの簡素化した意味が「死ね」に代表された混濁した感情の瞬間的突出であるとも言える。
話の本筋がどんどん逸れていったが、「憎い他者」のことが言いたいわけではなく、「憎い他者」の例えを記述したまでの話だが、暑くて「知識欲」だとか「文化」だとか言っていられないから「生死」や「身体」の話しか思いつかず、突き詰めると「死」についてしか語彙が思いつかない。知識欲については、技術を習得した他者に教えを乞うのが手っ取り早いし王道だ。そんな教えを乞うように「死について」記述し反応が見たいわけではない。
体が痒くて気が狂いそうだ。狂ったように皮膚を爪で掻き毟る。皮膚もかさかさと逆立ち剥がれ落ちたりボロボロと固まりこぼれていくが痒みが止まらないので気が狂いそうになる。一心不乱に痒みに心を乱されて痒みの該当部分の一点を爪で掻き毟り続ける。肌がこぼれて、次に皮膚が逆立ち剥がれ始める。その次にはそのまま順調に掻き毟り続けると、肌の下の組織が池の窪みのように表出する。無数の細かい窪みから透明で黄色っぽい液体がにじみ出てくる。大き目の窪みからは血液の「赤」が出てくる。そこで「赤色」にショックを受けて手や爪を止める。痒みがまだ感じられるが、ほんの少し待つと痒みがヒリヒリに変わる。そこで痒みがやっと紛れる。
そうやってできた瘡蓋が腕や足に沢山ある。この細かい瘡蓋がところどころに多数見られる身体では生や死について考えざるをえない。傷口から細菌感染しそうと考えると果てしなく恐怖で怖ろしい。夏が憎い。死を願うまでに夏が憎い。知識欲も糞もない。暑さに生きる気力が奪われる。