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リラックスと破綻をセットで含蓄してこその文化

疲れた。右目がドライアイで気分が落ち込む。しばらく目を休めた方がいいのだろう。それとも、意識的に見たり読んだり書いたりする「注視」を止めにしてテレビでも無意識的に流して観て気分転換すべきなのかもしれない。が、書いている。ツライ。人生って何だろうか?人生を無駄に使っている。無駄は無駄で悪でしかない。それ以外の解釈の余地はない、この場合は。悩む。疲れる。お酒でも飲んで気を紛らわしたい。がでも、外出はしたくない。

ならば、お酒を作れたらいいのに。自然発酵か何かで一から、お米などからテキーラやウォッカなどアルコール度数が高いお酒を自家製で作れたらいいのに。と書いてしまうと、おちゃらけているし、話も逸れるし、シリアスな悩みっぽく感じられなくなる。それでいい。私は悩みなんかないお気楽な性格だし。なる時に何とかなると思い込んでいるが、やはりどうにもならないものはどうにもならないのは100%確定している。誰がどう確定しなくても自然の法則で決っている。

そうして文章を書いていれば気が紛れる。書くことでしか癒されない。なのに相変わらずの話題のない駄文しか私から出てこないことに憎しみが沸き起こる。もしくは自己嫌悪に陥る。ここまで目を瞑って書いて目を瞑って書いてしている内に眠くなって来たし、少しは目が潤った気がするが依然とドライアイ。パソコンを控えろという合図かもしれないがそんなものは気にしていない。迷信などは信じない。宇宙人は存在しないんだ。若い国が生んだ若者特有の妄想(パラノイア)の共鳴に過ぎない(宇宙人が広い宇宙の何処かには実在し文明社会を築いているのかもしれないが、それを省いて私がここでいいたいのは、国家権力と宇宙開発事業と宇宙人を巡る思い込みや物語の構築について。映画『未知との遭遇』に代表されるような。)。もう少し落ち着いた方がいい。私も。リラックスと破綻をセットで含蓄してこその文化や論理や倫理だと私は考える。破綻はこの場合、人間の知識の限界や物語化へ向かってしまう欲望からはみ出して、という意味かもしれない。

疲れたのは疲れた。疲れた疲れたといつも『ひきこもり日記』で書いてはいるんだが、私の疲れにも多様性があり、その辺は文脈を読んで解釈して欲しい。書くのが面倒だ。疲れた。しかし、書く以外ない。「書き表す(表現する)のが面倒だ」という呟きを書く以外ない。今日は「書き表す(表現する)のが面倒だ」と騒々しく書き表したが、この記事の中でさえ「呟き」の余剰が挿入されているかもしれない。木を隠すなら森の中的に私なりに森の中に木を隠しているのかもしれない。そのメッセージは誰にも読まれないものでなくてはならない。私にも判らない。「書き表す(表現する)のが面倒だ」というよりも毎回毎回論理的に統制が取れているように見せかけている妄信を記述するのも疲れるということです。リラックス、リラックス。

リラックスできたら文化的で人間的な生活なのに。破綻を信頼していれば悩まないで済むのに。そう考えているのか何なのか分からない。私には何も分からない。自分が何を書こうとしているのか分からない。ただ、リラックスや破綻について書きたいと考えているのは確かだ。

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