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ストレス軽減の生活上の知恵がいつまでたっても全く身につかない気配の要領の悪い人生を日本の田舎の片隅で毎日送っている疲れやすい体質のある男の日記。

疲れている。疲れが溜まっている。何でこうも無意義に毎日をやりすごして何とか凌いでいるのにストレスがこうも溜まるのか?とタイピングする手の甲が赤く皮膚がザラツキ細かいキズ口がたくさんできている。どうやら睡眠中に無意識で汗ばんだ手の甲を爪を立てて掻き毟ってしまっているようだ。ほとんど一日中窓を閉めっぱなしなのでどうしても全身が湿っているから痒いのか乾燥肌だから痒いのか解らなく痒くなる。本格的睡眠時は窓を必ず、物騒だから閉め切るしパソコンに向かって作業している時も集中したいので窓を閉め切っている。ちょっとした戸外の物音ばかりとは限らないからちょっとした騒音にも酷く神経質な体質になっていて、腹立ちが治まらない。自分の世界に篭りがちだからか、ちょっとでも不意に話し掛けられたりすると酷くびっくりして心臓に悪い。その状況と似てもいる。

全くの完全な静かな環境にこだわりがあり、全くの無音で脳内思考の可能性を隅々まで探求したり、新しい可能性の未開拓地を追い求めて海を越えて遠くまで足を伸ばして行きたいのに、そう望むのは非常に贅沢な願望らしい。少なくともプロレタリアートで消極型アナーキストな私のようなニートには贅沢すぎる高望み。

上記全ての考えが重いのかもしれない。軽く行こう。軽い文章や思考ってどんなのだろうか?「何事も経験だ」という推論の帰結に毎回辿り着いてしまわざるをえない思考回路の持ち主を見習えば軽くなれるのか?いやいや、そんなことを書くつもりはなかった。だいぶ話の筋が逸れたのが悲しい。軽く行こう。内容はイメージ出来ていても書き表わすことが能力の限界から難しい。それに今は明確に記述したり具体的な事柄と向かい合える精神状態にない。自分以外の誰かの行動や外観について軽いか重いか判別できる内的指針の実在は確認できるのにその内的指針についての内容については言語化できない。記述したり論考したりする精神的余裕が無いからだ。にもかかわらず、軽い存在で私はありたい。その理由はハッキリしている。すでに冒頭で書いたように「疲れている。疲れが溜まっている。」からだ。

私には言語化可能な豊かなバックボーンがない。弱々しく危うく脆い論考や知識教養の背骨しか持ち合わせが今ない。貧乏すぎる。貧乏すぎるが、ハングリー精神も持ち合わせてない程に懐具合の底が抜けてしまっている程の激しい消極性。ブラックホールの入り口がコンニチハと挨拶しているプール。

疲れが溜まっているのはハッキリ見間違えることなく輪郭はハッキリしなくぼやけているが濃密な存在感を感じる。疲れやストレスを減らすにはどのような行動を取ったらよいものか?とブログにわざわざ書いてインターネットに公開すると余計にストレスが溜まる罠。罠を見掛けたら積極的に嬉々として嵌りたがるキャラだということにしておいてください。という訳で何でも勘でもインスピレーションでも間違った認識でも新鮮な側面が発見できたら積極的に公開してみる公開論述実験の場として今後もブログ更新は止めないでおこうと思う。最後の結論に視点のズレがあるのが気になるが今日はこの辺で日記の記述を終えます。

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