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タブーをばぶーと破ってみる快楽のモチベーション設定

今日もブログ用の話題がない。ブログ用の話題と限定してカテゴライズしなくても何の雑感もない。とタイピングするしかない一日を振り返る日記の寂しさと間抜けさ。今は眠くないんだが、そのうち眠くなって来るので今のうちに「日記」を書き留めようとしている。とにかく日記を書くための時間を早めに設けないと日付けが替わる間際になると日記なんてどうでもよくなる。

「頼む眠いから寝かせてくれ寝ている間が一番人生で幸福な時間なんだ」とか自分に対して、ブログ更新しなくてはならないような義務感の思い込みとプレッシャーへの免罪符的に題目をまじない唱え弔う。そのような形の、ひきこもり日記hikki_woodsの死をまのあたりにする日々。

歴史が終焉しているなら私も終焉しているし、神は死んだのなら私も死んでいる。そんな論法ではあるが、その逆もまた真、ではありえない。私は歴史でもないし、神でもないし、神をも恐れぬニートブログでもなんでもない。間抜けな駄文好きで、人生を怠けてすごしているし、退屈しまくりだけど頑張りたくないし、権威主義的なブログやアカデミズム礼賛ブログにはほんとうに反吐がでるぜ!とかは主張してみたいけど、特に何とも思わないし、そんな気力にも欠けている。

気力が欲しいところだ。無い物ねだりも物欲しげでさもしいので、ちょっとした感慨をもらすのも悪だという気もするし、別に私は悪者を気取るつもりも善者でもない外見も内面もくたびれた一人の男にすぎない。なのだったら、くたくた感を文章によって表現してみたい。そんなコンセプトでぐだぐだとぐだぐだ文字を記述しているリアルタイム感がまあそれなりに、インターネットでは他の誰もが行わない私独自の奇癖に思われるかもしれないとかの、何らかのタブーをばぶーと幼児退行ぎみに破ってみる快楽ってあると思うような気がするしモチベーションにもなっている。

他者の日本語ブログを大量に訪れてみて見渡してみても、「ブログというインターネットは自己主張の場だ」とは到底思えない。自己主張しているのは一部のきちがいじみた奇人だけで、その他は純粋な自己顕示欲の場だと思う。現実社会となんら変わりないというか社会の縮図。他者からの情報の受け売りの知ったかぶり発言(俺って出世コースに乗った勝ち組社会人仕事できるぜ、とか俺学校で教わったし学業優秀だしとか)と、前者と似たようなタイプだけど雰囲気が異なる他者の考えをオリジナルより矮小にスケール小さくこじんまりと纏め上げる能力を発揮している人、あとは日記とかのデジカメや写メとかを最大限に活用した資本主義社会の申し子的なやつ、の3種類がマジョリティってところだと思う。私は、「日記とか」「資本主義社会の申し子とか」にカテゴライズ希望のマジョリティな自己申告をしてみる。

伝統色が濃い日本というより、アメリカ社会に合わせないとこれからの時代は恥ずかしい、というような取ってつけた敗戦文化国で、現在は思考のバックグラウンドを失ってしまっている寂しい国だと思う。アメリカ的でもヨーローッパ的にもなりきれない、アジア的だと言われてしまうのは強い嫌悪感がある国だから、結局は敗戦文化国としては、アメリカ的な日本を目指すべきだ。私もアメリカ的なブログを目指して反知性主義でも標榜しようかとここのところずっと考えている。

嘘です。テキトーに雑感や感慨を脈絡無視(本当は脈絡をこれからつけたかったが思いつかなかった、というよりどうでもよくなって途中で投げ出した)で書いてみただけです。物語の帰結としては、アメリカンドリーム最高!俺も今日からアメリカンドリームの放浪の旅に出るぜ!山手線沿線の4畳半一間のボロアパートから再起をかけるぜ!とかの決意表明の心理的な流れに持っていきたかった、筆がすべって欲しかっただけだ。やっぱりくたっとへたっただらしない男でしかないな。そうまとめてしまうのもちょっとなんかどこか違う。どうまとめればいいんだ?という悩み。

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