内面の言葉と感傷に浸る行為との差別化について
あっぁ疲れた。毎日16時間は頭が働らかなく意識が混濁して生活している日常疲れがある。眠りが浅く寝ては起きる繰り返しで、16時間以上は毎日無駄に時間を使っている。私の生活リズムは大体に客体的に観察するところによっると、24-8時が頭がクリアに働く時間帯で、クリアに働くといってもちょっとずつでも毎日継続して時間は10分程度でも部屋の整理整頓を前向きにやろうかな、としているってだけで非生産的非建設的非社会的な無為な過し方が自分でも憎らしい!ような気がする。
今は頭がクリアではない時間帯にコレ(文章)を書いている。8-16時の間は本格的に睡眠時間帯の意識に体がなっているので横になる。やはり部屋が眩しいので眠れないので短時間睡眠の繰り返しで何度も何度も起きる。その後の16-24時は何度も寝ては起きるはの繰り返しの戦いによる疲れから眠気が取れないし、腕にそもそも力が入らなかったり、疲れが足の裏の発熱で現れたりする意識混濁へ抵抗する戦いで、寝惚けながらも眠れない状態、例えるなら映画「インソムニア」でのアル・パチーノと同じ。
何も「私はアル・パチーノだ」とは「私こそがアル・パチーノだ」とか自己主張している訳ではなくむしろ「私はインソムニアだ」と言っているだけにすぎないが、しっかり16時間かけて「寝ている」のも事実なんで、その事実や気だるさに腹立たしいし、ムカつきもするし、怒れる若者だし、そんな感じで昼夜逆転生活ってこんな感じなのかもしれない。でも結局は生体は外が暗く、日中溜め込んだ石(アスファルトやその他)が保つ温度が冷めて、大型生物がみんな眠りについて生活音が消える時間帯にしか眠れない生態をしているのは捻じ曲げれない。
疲れた。意識が混濁しながらもコレを書きながら、少しずつ生活リズムを変えようとしている。とにかく外が暗い時間帯に入眠しないと快眠とは真逆だということ。今もし私が外出するとしても寝惚け眼のリビングデッド状態でしかないし、経験上マジでほんとうにゾンビ状態でしかありえない。太陽光線を浴びたから目が覚めるとかは経験上ありえなかったのでイメージできない。ただ、日常的に信頼が置ける人間関係や社会生活があれば「寝惚け眼のリビングデッド状態」は覚醒されるのかもしれないというイメージは想像しているが、私には全く持ち合わせがないのでもしかしたらそうなのかもって予測の段階な訳で。
やはりここでも友人知人家族親戚は資産であり交換可能な流通通貨としてもいいんだけど、その二つの蓄財かトレード材料かは別問題にしても「資産」であることは私は確かだと思うし、私のブログやアカウント名、ひきこもり日記hikki_woodsや過去ログや現在ばしゃばしゃタイピングしている文章も資産価値があると思う。そう思わなければ、全ての生活が無意味なものに成り代わってしまう。全てに価値がある。それらを藁しべ長者的に他者のエネルギーと私もトレード活動に私も参加がしたい。
でも非参加に丸をつける。非参加に丸をつけるタイプの参加すらしていない。代理で誰かが丸をつけているのだろうきっと、私の代わりに。非参加で非社会性の発露そのものを私は生きている。のを思うと疲れる。エネルギーがトレードされなく内省的に内に容赦なく向かうので疲れる。のが私の疲れの原因だとは思うんだがどうしようもないし、どうしようもなく疲れた。でも笑えもするからたまに自虐的に笑ったりもする。
泣けはしない。一生懸命に無為は無為なりに無策は無策なりに過剰に努力はしている。努力というのは適切な表現でないかもしれないけれど、超絶にももがいてはいるし、その無駄な努力にやエネルギー消耗にカタルシスを身に覚え笑えもする。それに長文を書きまくっているので、ブログを書いていない時は言葉がない状態だ。
ブログを書いていてリアルライフへの変化や進歩があったとすれば、内面の言葉をすべてここのブログへ叩きつけて(タイピング)いるので内面に言葉が残っていない。もしも私の人生が追い詰められようが泣けないしむしろ好都合なのだが、ゆいいつ感傷的に私がなる瞬間があるとすれば、映画を観ている時。あらゆる人間全般てビジュアル的に美しいなと思い泣けてくる。