他者の文章を読み解く3つの尺度とその周辺事情
寝起きがいつも最低だ。イライラするが力が出ない。眠い。まぶたが重い。顔が歪む。なんかトイレの夢をみた。複雑すぎて説明が今は出来ない。頭が働いてないんで。整理整頓がなされてない物置のような遊園地、みたいなトイレ。人で混雑している。少しゴージャス。でも不用品が沢山置いてあるので物置状態と迷路状態。映画「ギャングスター・ナンバー1」の影響かもしれない。グラスに入ったシャンパンを小用トイレの前の床に置き、男の小便の色と同じシャンパンの色の対比と混在(小便が飛び散って床に置いたグラスに飛び散る、男性用小用便器に小便が反射して)。少し目が覚めたが睡眠は足りてない。
そんな夢を見たし、トイレに行くために睡眠の一時中断があった。PCは点けっ放しで寝るのがデフォルト。PCの前には飲み残しのキャップ付き缶入り水割りの残りが入っているし、陶製のコップに移し変えたお酒が飲み残してあるので、それを飲もうと思う、そう思ったとたんになんかしゃっくりが出た。うへ~ヒックってなりながらこの文章を打っている。まだお酒飲んでないけど「陶製のコップに移し変えたお酒」の飲み残しのせいで、匂いは嗅いでいるがまだ飲んでない。アルコール臭に酔ったみたいだ。とりあえず文章に区切りが付いてから飲もうかなと。
整理整頓のためにも飲み残しのお酒を片付けるためにもコップを空ける。寝惚けまなこでお酒を飲んでいる私と、流動する食道と熱くなるり重くなる胃と五臓六腑に染み渡るフィーリングの小規模ヴァージョン。寝惚けているし酔っている。昨日は酔ってても文章書けなかったので、現在は、寝惚けながら酔いながら文字をタイプしている。そうこうしている内にひっくひっくと横隔膜がちょびっと痙攣しながらも目が覚めた。そんなに沢山飲んでない。300ml入りの缶に1/3程度残っている。ナイトキャップにちびちびちびりとだらだら2/3を舐めるように数時間掛けて飲んでいたら眠くなった。
私の生活や考えや感情を全て書き写すのは不可能だ。いま現在進行中の文章のように、勢いに乗れなければ書けない。書けないということは存在していないということではない。行間や背景や文脈から読み取ってもらわなければならない程度に助けは私にも必要だ。私は読み取ってもらい解釈されなければならない程度の助けは必要としている。それはどんな文章もそうだ。文章が短ければ短い程に他者には自由に解釈できる余地や隙を与えていることになるし、長文だったら、書かれた内容に読む側も感情の流れと論理の流れと物語の流れ、その3者程度の流れを追体験しなければ作者が何を目的として書いているのか理解できないだろう。ということで長文も忍耐と信頼を読む側に要請しているという意味で助けが必要だ、私にも。
まあでも、書かなければならない。退屈なんで暇を持て余しているんで。遊ぶ場所がブログしか私には思いつかないんです。コンテンツの充実という側面から文章を書かなければならないし、ネタがない。書くというのは、書くこと自体が批評行為でもある。そのフレーズを内向的に解釈すれば、なんで私は文章を書くのか?他者に馬鹿にされてまで?ということ。あんまり文章を書く快楽とか言っていると(重点を置いたり特化したりすると)、シュールレアリズムになったりダダイズムになったり、レディメイドにサインして評価を与える私みたいになったりすると思う。文章が書かれる理由とその着地点という意味で、着地点には3つの分類が可能だと思ったし、代表する(と私が思う)3つを挙げて見た。
いま思いついて言ってみたただけなんで、強引な代表のさせ方かもしれないが、一つのモノサシや尺度や色眼鏡として面白いんじゃないかなとか思う。私の文章はどれでもないけど。私の文章なんて万人受けを狙ってないしで。日本文学の歴史は大半が私小説で、私小説の歴史と言い換えても間違いないとか昔どこかで読みました。私はその伝統を受け継いでいるらしく、勢いに乗じてだらだらと私の日常らしきものをインターネット上で綴っております。最近は検索からご訪問されるお方ばかりで、検索エンジンをフェティシズムやマイノリティーチックに使用される方に何か、私は非常に共感と仲間意識を自分勝手に覚えます。その方へ向けて文章を綴っている楽しみに見出された私が私信としてお送りしているブログってところなのでしょうか?