« 私の好きな音楽。今日の1曲その65。 | メイン | 私の好きな音楽。今日の1曲その66。 »

振り子が揺れてます

書くことがない。書けそうな気がしない。でもそんなことを書きながら文章は綴れる。でもこんなことして何の意味があるか解らないが文章を書き留めて置く労力を行使しておく。意味があるのかないのか判断を留保して文章を書き進めて行くしかないような気がする。今日も何も話題がない。話題のなさに歯止めを掛けるのは間違いだという姿勢で文章を書いていることになる。

とにかく残す気持ちこそが大切だし、一時間前後程の時間、真っ白なテキストエディタに向かう行為こそ素晴らしく素敵な時間の使い方かもしれない。解らない。とりあえずガチャガチャせわしなくキーを叩いていくことがキーだ、なんらかの密室のドアのロックを開け放す。ロックでも聴きながらドアのロックをキーを使って外そうと思う。外す勇気も自信もないが、キーをガチャガチャ強めに叩いて置く。

元々筆圧が強い方なのだ。意味もなく強めに紙に芯を押し付けて文字を書かないと安心できない性質を元々持っているらしい。パソコンのキーをチンパンジー並みな身支度の前近代的な生活を自分の殻に閉じ篭って送っている男が繰り出す文字。そんな感じ。自分を卑下しすぎかもしれないが、一方では大正解だと思う。一方では大不正解で見当がハズレまくっているかもしれない。その方が私としても嬉しい。卑下かどうか判断は留保して自分を等身大より一回り低く評価するのも正しい自己認識方法の一つだと思う。

環境が未整備で状況が混迷している場合に有効だと仮説を立ててみる。等身大の自分を充分に発揮するには他者との駆け引きや競争力などが問題になってくると思う。競争や駆け引きを回避したければ、自分は負けています、自分は馬鹿です間抜けですしかもキモヲタですと自己へ宣告するのも正しい自己認識方法の一つだと思う。何がダメだとは言えはしない。何でもありで何でも利用できるものは利用しなければならない。情報を隠蔽するのが一番危険だ。危険なのも方法としてありだ。何でもあり。

その一方で「それを言っちゃあ、お終いよ」ってのもある。バランス感覚の問題なのかもしれない。沈み込んだり浮き上がったりのなかで、失言を回避しながらブログの綱渡りをする。最近は私も面倒になってきたというか、今まで失言を恐れて相当に緊張して書いていた。緊張するのも正しい判断とは言えない。無理して生活に沈み込んでいる状態を維持していくのも間違っている。でも何が正しいのかは判断を留保するためにも、他者との交流が全く欠けている情報弱者な私からのほほんと緊張感を欠いて無駄になんかニヤニヤしつつも緊張しながら、エネルギーをインターネットへとぶつけているのも踊る阿呆的に意味のある情報技術であり、文章テクニックではあるかもしれない。

そんなことは誰でも考え付くし、よくそんな記事が書かれているブログも目にするし、アクセス数が多くコメントが熱心に付いているところもある。そこと私が違うのは屁理屈や前置きや留保が多いせいで、間が抜けているせいだと私は素直に感じているしそう考えている。無駄にのんびりしすぎで長期戦を覚悟している割にはイライラして、「こんなブログは誰も読んでない」とか自己評価したり無駄に緊張状態を作りだし保つ作戦を他者に付け入る隙がなく張り巡らせることにのみ重きを置いて熱心さを見せている。

ナンセンス屁理屈ブログの維持運営に熱心な私こそが誠実で思慮深い論理を構築していると思い違いを私はしている。それでもいいんじゃないかとか、それではだめなんではないか、という視線や姿勢の振り幅の大きさ。その振り子は大きく揺れているし、私はどこに位置を定めれば良いのか自信がない。ただ、振り子が揺れてますって毎日素直に報告してみせるだけで、もはや日記を過去ログのように熱心に書いてみせる気力も沸いてこない。楽をしようとしているのか、意味があるのかないのか解らない文章を書き示している。

他者にこのブログが読まれていることもようやく最近になって解ったし、他者に全くこのブログが読まれないことも最近になって充分に実感した。別のブログのアカウントを作成してまた新人として書くのも手だし、ここ『ひきこもり日記』に固執してだらだら文章を続けるのも手だし。選択肢はたくさんある。

スポンサード リンク

連絡先

  • blog@hikikomori.in
Powered by
Movable Type 4.261