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言葉と運動性とミニマリズムとひきこもりとについて

やはり無意味な批判をするのではなくしっかり全ての現象や事象を肯定したい。でもそれと対立して存在する「毎日日記なんか書けない。今日も一日中家にいたので話題もないし疲れたので休ませて欲しいし気分が停滞して言葉にならないし第一内外の無言のプレッシャーに抑圧されていて私には人間の尊厳なんてないし、無駄にイライラして集中力が保てなく脳が閉じていて思考に向かない=言葉が存在しない」怠慢さとも呼べる声にならない論理にならない雑多なほどけない結び目的感情はどう紐解けば正しいのか私には方法や言語表現技術や学術用語を知らないのでどう表現して良いのか分からない。

本を読んで知っていないと感情に名前をつけるのも困難な作業だし、他者への説明が弁解じみたスマートでない冗漫な文章になってしまう。日記なんだしどうでもいいか。でも語彙が欲しい。何を表現するにも長文に必然的になってしまう。インスピレーションにネーミングと解釈を与えずに失敗に対してオープンマインドでなければならない。昨日の日記も冷静に読み返しても、適当に脳で考えず指から出任せ的に記述したけどそう失敗でもなかった気がする。正直恥ずかしいこと書いちゃったなとか反省したんだけど。反省する前に日記なんだから毎日感情を書き上げるしかない。

ミニマリズムひきこもり生活であり最小に切り詰められたパターンそのもので私は評価されても耐性をつけるべきだ。毎日が言葉の反復で私は人生を生きていないことがこの日記に書き記され他者もその時間を無駄にしているさ加減の一端が覗けるものであるとすれば私はブログ『ひきこもり日記』の運営者として至福の極みだ。私は自意識の発露なんかでなく表現し辛い名前が無いものを言葉そのものに私が成り代わり言葉として運動しているつもりです。言葉の運動性を高め何ともいえない感情を揺さぶることで自然に私自身の運動性に繋がればいいなと希求し探求しています。

低脳な私にも簡単に論破できそうな自意識過剰の裏返しの他者批判を顕示している記事をよく目にします。ここには私はインターネットの醍醐味はないと考えます。そんな言説を目にしたくないのでインターネットを閉じ自分の世界を防衛するか正式な流通経路によって身分証明された書籍に救いを求めたくもなるし、そのどちらかしか解決方法がないような気もするがそんな思い込みは捨てて私こそがはっきりと批判される立場に成り代わりたいと思う。そのためには集中力も構成力も編集力も持てない私の無能さの怠慢の荒海を言葉に依存してブログ的運動性を取り戻す試みを率先して実験し発表して恥を掻けばいいんだ。でも毎日ネタも元気もなくてマンネリで私に向学心もないし困っているって話でした。

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