なんかブログ的疲れが溜まっているし壁にぶち当たったので逆に24時間更新してみるぞ! その1
限界を超えて書こうと思う。体裁を整えず指に任せて文章タイプをおこないアップロードしてブログ更新だ。24時間更新するしかない。ここのところ自己嫌悪に陥ってばかりで何もする気が起きない。すぐ眠くなる。図書館や髪を切りに行かないともっさり感がうざったくて疲れる。
家に篭りっぱなしなのでなのか白髪や茶色の髪が目立つようになった気もするが鏡を見ても髪までしっかり見ていないので事実かどうか忘れた。いままで以上に読まれない文章を書こうと思う。いっそのこと読まれないブログの方が気分がスッキリする。体裁も文体も整えない。疲れている。糞も味噌も判別つかないくらい疲れている。外観は似てるけど…………やっぱ以下略です。
やはり整えようと思うと疲れる。ミスタイプも多すぎる。もう少し更新頻度を減らすしかなくなる。書きたい気持ちはあるのだが、こればかりはどうしようもない結論。その結論を回避して更新過多で行く方針を採ろうと思う。いままで雑文を公開してきたのでその方向で加速させようと思う。限界を超えれば悩まなくて済む。壁にぶち当たっているから痛気持ちよさに執着して踏み留まっている……のだろうか?
とにかく壁にぶち当たったから閉塞感を感じている。壁を無かったものとしてもっと前に進もうと思う。ブログなんだから内容はともかく更新頻度を上げる事のみで存在感をアピールすることに努めようという戦略を採ってみる。正直、ブログ更新だけが私にとって運動している状態。汗を掻くし脳も発火する。しかし読み返すと大したことは書かれてないので凹む、毎回。
運動の話に戻すと、情報を受け取る行為は疲れるが情報を発信する行為はエキサイティングだ。こうも言い換えられる。良質の情報を受け取る行為はエキサイティングだが、自分が駄文を配信していることをイメージすると疲れが出る。とにかく独りでバカ騒ぎでも何でもして楽しくあろうと心構えを新たに。ミスタイプで文章ボロボロや説明不足など気にしない。読む側で脳内捕捉で調整してください。文章の流れに乗ってみてください。
文章の流れや気分の流浪や内面風景の優美さを写真的記録をもって読み物として提示されているブログです。ここに私は存在しているようで存在していない。純粋に私の内面風景なだけです。自然風景を現象として捉えることは出来ても元々の存在理由までは辿れない。人類の歴史がある面では野蛮なもので少なくとも、かつては在ったように、私も人間だから野蛮で整合性の欠落した文字なのです。文字が指からタイプされインターネット上に抹消不可能的に記録されている現象を観察してみてください。
この辺りで私も目が覚めてきた。私はどうするべきか?「~すべき」とか使用したらいけないのかもしれないけど、それはまた別問題で複雑な問題だ。何々をすると人生が立て直せるというなら片っ端からこなしてのけたい。でも私には何をやっても無理だろう。がでも感傷的すぎるのもどうかと思う。私に可能なのはブログ更新することくらい。私がひきこりから脱出できる可能性があると思われている方がいるとすればそれは楽観的過ぎる。が私の悲観的過ぎる思考回路も改善や再構築の余地がある。
人生を学歴もスキルもない人間が自尊心と経済的力と家庭や先祖や両親に対する妥当な認識を構築する流通貨幣的社会通念的解釈を私に提示できる高い技術力と高い営業力があれば私は他者から、私はひきこもりやニートから脱することが可能な人間だ、と楽観視されても甘んじるし積極的に巻き込まれたいが、まずそんな考え方は村社会的新興宗教か?とか疑念が絶えない。とにかく私にできることは時間に耐えることだ。3年くらい無為に無能に『ひきこもり日記』を運営しても思うところの何らかの引っ掛かり、踏み石や復元ポイントの作成にはなるかなとか思うが甘い考えかもしれない。
何も出来る気がしないし、何も勉強できる気がしないし、その前に準備資金調達が出来ない。その前にどんな計画を立てるのが人生に前向きな姿勢であるのか?私は今まで不参加で人生を過して来た。人生を降りる自由とか降りられないとか以前の不参加だったというそれ以前の前近代的問題な気がする。
とりあえず私の間抜けさを露出狂的に露出して笑いを取りたい自由さ。もし今現在がインターネットが存在しない時代であったとしても同質の笑いを私は追及したと思う。