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メモというブログ更新手法については様々な考え方が出来るが書き出せばキリが無い

非常に非情にも書くネタがない。私に暇な時間が過剰にあるということを伝えるため、発信するためや証明するためにも、私はブログ更新しなければならない。強迫観念や使命を負っているとかなんやらとかではなく、こんな簡単な作業もこなせない情けなさに思いを巡らし、情けなくなる。

ブログのためというより、出来る限り外には出ないと最近は無意味な制約を自分に設けている。でもようやく本が三冊読み終わったので、本を返却しに外出しようかなと考えている。髪も切りたい。お酒も飲みたい。がお金はないのはないので出来る限り外出するのを避けたい、行動的になる機会を回避したい。室内でだらだら、作業に集中できず、全てがやりかけのままで集中力もことあるごとに削がれ、注意力散漫になり気分が落ち込み、全て捨て去りたくなる。全て捨てて一から人生をやり直したい、そんな破壊的衝動にも意識を削がれる。言葉がブラックホールに吸い込まれるごとく言葉が出て来ない。疲れた。がでもネット依存な私はネットに過剰に執着し加療したい気持ちがある。とりあえずブログを更新できれば、ブラックホールに私自身が吸い込まれずに形となってブログ記事として私の存在が文字へと変換されて可視の触れられもする存在へと変質することは可能だ。言葉が消えてなくなるよりもブログ記事に変換される方がよっぽどに健康的だ。

何も考えてない日記を垂れ流す公害よりも、多少他者に私の存在をアピールし、記憶に引っか傷をつけるくらいの目障りな人物をこれから目指して行こう。

何も考えていなく即興で文字をタイピングするよりも、私が日常で感じた意見をメモして公開する方がより意味はあり、こんな無駄な長文でなくすっきりしていて贅肉が無く、私の考えていることが他者に理解されやすいのではないだろうか?とか思うんだけど、いちおうはこんなにも(今日のように)情熱的に無駄な長文を筆圧強目的に打ち込んではいる。メモを公開した方がクールかもしれない。私はクールな人間ではない。ハングリー精神の側の社会の底辺の人間だという自己認識から、『自分はクールな人間だ』という偽り装うみっともないことだけは出来ない。どうせみっともない人間だから、みっともなさを雑多に公開するタイプを選択している。

メモについてはいろいろな考え方が出来る。書き出せばキリが無いので、大きく分けると、『メモするのは考えの整理に役立つ』といういわば玉石混合を厭わないタイプと、『メモしないと思い出せないのは重要な事柄ではない』といういわば物事に集中している時だけは他者には不安定な人間に見られがちだが能力を発揮するタイプと、メモに関してはそんなところだろうか?

というよりもこの日記すらもメモ帳である。細分化された自己定義なんて自前で披露してもしょうがない。私は私を観察することも客体視して分析することも不可能だ。ただ文字を綴ってブログを更新するしかない。何が書かれているかが重要なのではなく、文字が書かれて形になり、どれだけ他者と違ってユニークな存在かを示すしかない。私は私を放棄しようとも過剰に領域を誇示しようともどちらでも私でしかない。私以外には有り得ない。文字を綴るのが私で、この行為が何を意味するのかは私には分からない。誰か教えて欲しいくらいだ。でも私も意見を持っている。批判されたら反論だって出来る能力も持っている。でも過剰防衛してもしかたないし、悲観的だと解釈されて、私の存在そのものが重荷だろう。そうならない為にも、予防策として私は楽観的か無駄な長文を書き綴って過剰な熱意を示して生きる意欲を当ブログを通して見せ付けるしかない。そんな結論にいつも遠回りして辿り着く。もっと目的地の無い散策としてもっと人生を賭けて遠回りしたい。当ブログを通して。暇な時間はたくさんあるのだから。ブログ更新くらいはサボったりせず、無気力に陥ったりせずに出来るはずだ。

とまぁ、こんな感じで熱く語ったが、ここのところ集中力がなくて馬路(←こんな2ちゃん用語を使うのは知らない人には失礼なのだろうか?)に言葉が出なかった。メモ程度に言葉を思いついたその都度、書き留めて、ある程度の分量に分けてブログ更新しようかとも考えたけど、やはりそうしてしまうと余計な誤解を生むだろう。短い言葉の意見は誤読され易い。それに私はメモだと他者に対して無駄に批判的になり易い。それに対する批判も受けてしまう悪循環に陥る可能性もある。メモだと自分の守備範囲を食み出てしまう可能性が高いのでそれは避けたい。余計な一言や余計なお世話に救われることもあるが、その一瞬は救われても後でよくよく考えるとやはり余計だったという結論になりやすい。とまぁ、そんな感じでマンドクセ。何が余計で何が余計でないのか?難しい。個々の基準に任されている。私は私の基準を持って余計さを回避したいし、回避するのは難しいことなのでたまには積極的に消極的に巻き込まれて行くしかない。お後が宜しいようで。

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