根気の強みと根気の脆さについて実践してみるブログなんです。
家の外の騒音が気になるので、私は1日中イヤフォンをしている。睡眠中も録音されたラジオや音楽を聴きながら眠る。そんなイヤフォンを耳に嵌めた毎日の睡眠の中で、イヤフォンの延長コードもないので、イヤフォンコードは短すぎて余裕がない。いつもは寝相が良いみたいだが、そんな毎日の中で一度だけイヤフォンに繋がったPCのスピーカーやモデムが倒れて机の上から落ちたり、宙吊りになったりしていたことがあった。それから接触不良を起こし、だましだまし工夫して使っていたが、ついに片方に電流が流れなく片方から音が出なくなった。何を措いても一番の生活必需品なんで来るべき時が来た。という訳で、今から買出しに行こうと思う。私はオンラインショッピングが好きではない。いろいろと複雑な手間が掛かる。配達員を待たねばならないし、来ても来客に気づかなければ荷物を受け取れなく、不在票のみが配達されてしまう事態になる。そして電話で確認する作業が必要になってくる。そしてまた荷物を待たなければならない。私は待つのが苦手だ。それ以上に手持ちに不安があるので、お金を使う機会を私はほとんど持たなく最近はどんどん減らしてきた。いかにお金を払わず退屈を楽しくやり過ごせるかを私は毎日考えている。それが原因で友達がいないのかもしれない。コストを抑えより多くの知識を得たい。それに私の住んでいる所や地域全体は少し遠目に長距離を電車に乗って出かけても全く文化的でない超田舎だと思う。行動する事の限界を実感させられもする。
ヘッドフォンの方がより音質や音圧も高いのでベターなんだが、私は眼鏡野郎なんで耳と側頭部との間にサンドイッチ状に挟まれる形になる眼鏡のつるによる痛みがある。イヤフォンを選ぶしかない。今は部屋にあった大き目でおはじき(耳に対しての接触面が)程の大きさ形状での耳腔に対して出っ張ったゴムのカバーが付いたイヤフォンをしている。これだと耳腔への密着感が低く隙間が多いので、家の外の騒音もクリアに耳に入りやすい。接触不良を起こした愛用しているイヤフォンは、耳栓タイプの耳腔に詰め込める円柱形のタイプだ。嵌めるだけで耳栓代わりにもなる。接触面は殆どがゴムの柔らかさを感じ、芯に機械が突出していて程好く堅くもある。なにより密着性が高い物だ。
ひきこもり日記と謳ってはいてもこのように細かい所雑用で外に出なくてはならない時がある。それをいちいち毎回説明するのは無理がある。能力の限界もあるし、背景や状況や話の流れを説明するのに時間も掛かるし、詰まる所は針小棒大な言い訳に過ぎないのではないか?という徒労に対するプレッシャーが大きい。ひきこもり日記は意味がないのではないか?という結論に辿り着いてしまう。結論を迂回し問題を俯瞰し、かつ針小棒大さに価値を置いて、かつ距離も置こうと思う。針小棒大さは絶賛されるべきでもあるし、ただ単純に行動の逡巡に対する弁明でもある。もっと、(少なくとも)文章を書く上や話を面白おかしく膨らましたり、他人を説得するためには必要な手続きだという観点から、もっと針小棒大さは絶賛されるべきだ。私は自己語りをしているようで実は違う。私は『語り』に興味がある。もっと分かりやすく表記するとすると『物語』になる。でも私には物語りは耐えられない。もっと小説的で物語から自由で破綻しているべきだ。文字で情景を構築するタイプの小説家に憧れる。とまぁ、こんな感じでどんどん話がズレて行く過程を大事にしたい。
私は生活の一端を文字に依って日記として書き記すが、それが私の生活の全てではないし、私は私が書いても良いと判断した私の生活だけを文字に依って露出してみせる。それが私の能力の限界といった所だろう。言葉を失う場面は描写しようがないという能力の限界。でも私がこうも熱心に書いている日記から、文章から、文字の間から、漂う匂いのようなモノを私は信じている。私の書く文字をそのまま受け止めるのではなく背景を読み取って欲しいという、私を読んで下さる稀少なブログ訪問者への協力の要請です。結局は他者の協力がなくては何もかもが無意味だという悟りのような感慨。こう書いた方がポジティブシンキングなのかもしれない。でも私は私の無能力さ無価値さを知っているし、そう他者にも解釈されたい無意味な欲求がある。欲望はどうしようもない。運命は変えられないという結論とその証明に到った哲学者もいるみたいなんで、そうも言い換えが出来るみたいですね。よく内容が分からないけど。勉強不足で基本的知識不足だ。このように私は知らないことが多い。そして知ったかぶりで、「『ひきこもり日記』は運命なので変わりようがない」と発言したくなってくる。でも他者の言葉を使わずとも、運命は変えようがない実感は強くある。私は努力しても運が良くても悪くてもひきこもりでしかなく、『ひきこもり日記』というタイトルのブログ運営者でしかない。私という人間はそういった性質を持った人物である。それは運命だし誰にも否定出来ないと考える。鎖国に陥る基本的構造は運命と以外言い換えようがない。物事はあるがままにしか肯定する以外にない。それとは別口で人生に負けている強みもあると思う。挫折している状態の強み。それをセールスポイントにする以外にない。例え一時的にでも永続的にでもそのどちらでも。
問題は「セールスポイント」の薄さだ。私に存在感がなく、だらだらとただひたすら冗漫で怠慢で愚鈍な人物の愚痴にしか他者に見られていないだろうと私には予測される。
本を読み内容を把握し理解し解釈するには根気が必要だ。私は私の熱心さをひたすら行使しすることでブログを訪れる他者に根気を問うていることになる。それイコール私を理解し解釈して欲しいということではない。謂わば、根気に関連する事柄について考える場だと思っている。根気は不必要な機能でもあるし、根気は武器や防具やアイテムとしても行使できる。根気の強みと根気の脆さについて実践してみるブログなんです。
そんな下らない文章を長々と書いていたらイヤフォンを買いに行く店頭営業時間的制約の中での現実的余裕のなさに直面したみたいだ。明日にすることにする。明日になれば、また明日にしようという結論になり、延々とその繰り返しに陥るだろうが、外出出来ても出来なくても大した変化ではない。外出して面白い風景や現象が見られたら書くことにし、些細な私の所雑用について逐一書く必要はないかもしれない。また今日の様に弁解に終始し行動が疎かになってしまう。ブログネタ的には醜い弁解の方がおいしいのかもしれない。私も対人恐怖症的に視線が怖く外出に苦労した時期があったけど、今は特にそんな過剰な防衛心はない。それでも私が変わったということではない。結局は原因は自己評価の低さから社会や世間と対等に渡り合えていない自己認識、そんな無意識な表れが視線恐怖であり、問題は他者の存在が恐ろしいのではなく、自分の内面の理解不能さが怖いということだと思われる。そして、自己評価の低さは日本人に共通する現象だと思うので、特に気にする必要もないとも考える。私は総合的に人生を立て直す技量が欲しい。とそれと一時的な無意味で傲慢な自信でも構わないんで、本当に自信が欲しい。ひきこもりにはそのどれもが、世界の全てまでもが高望みに思える。