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ひきこもりブログの可能性と旅行記との類似性とについて

外出しないとなぜにこうも書くネタが無いのだろうか?気持ちに張りが出ないからだろうか?ネットも広大な世界でいろいろと種類が豊富で話題に事欠かない。ブログネタに出来ないタイプのネット世界の方が面白いと思うし興味を惹く。気を惹きやすいそちらにばかりに気持ちが向いている。なので結局はネットは中毒的に毎日24時間嵌っているとしても話題が無いしそれ以上に話題に適さないという禁忌事柄になる。なので私には何も話題がない。日常生活でも万事が万事こんな調子で話のネタに困るのでどう世間話を作ったらいいのだろうかとか思ったり、思わなかったり。でもみんな何らかのマイノリティで毎日、避けなければならない話題に気を取られてブログネタに困っているのかもしれない可能性に考えを向けてみる。つか漏れが超愚鈍で超不器用なだけか…。なんでそんな脳内思考にしきりを設けることが可能でそのしきりの囲いの内に独自の世界がそれぞれ独立し同時に存在できるのか不思議です。それに騙される側の例えば私のような純真無垢な(←?)人間には理解できないパラレルワールドです。日本自体が私にはパラレルワールドに見える。

気分転換に旅に出かけたくても我が家に帰る度に嫌な気分からくる脳の混乱による吐き気がする。表現が大げさに強調しているけどそんな感じなので、それなら一切の可能性を断ち引き篭ることも精神的な辛い個人的な他人とは共有できない(アンチ旅は道連れ)タイプの旅に興じてみよう、というのが私の今現在の旅の状況なのかもしれない。私のブログは旅の記録を心理面に主を置いて書き綴っております。独り脳内スタートレック気取りなのかもしれない。ただの私的な旅ブログなんです。英雄気取りやアンチヒーロー気取りなんかではなくただの間抜けが私なんです。ただの自虐ネタです。

つーか、自己評価を高めるために何をしたらいいんだろう?『~をしなければならない』ってのは精神的に辛いので考えたくない。今お手軽に楽しんで出来る行為が私にはありがたい。何かないだろうか?

私は気分が安定している人やそう見える人や普通の人が好きだし、私もそうなりたいが私には荷が重いのかもしれない。私は人生においても、ブログ上においても、完全完璧に孤立無援で寂しいと感じるがそんなことはないのかもしれないし、そんなことはあるのかもしれない。私が助けを拒否した姿勢ながらも助けを求めているようなもので、まず強張った姿勢を崩すことから始めなければならないのかもしれない。落ち着いて周りを見れば私と似通った状況の集まりが出来つつあるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

誇りやアイデンティティは人権以上に不可侵のものだと考える。私にもプライドはある。他人に助けられるくらいなら、私にも他人を助ける心の余裕くらいはあるところを証明したい。

消極性の極みで非社会的な旅路だとしても『ひきこもり』は人間を成長させる旅だと前向きに考えたい。消極性も悪い評価が一方的に下される謂れは無い。一方では引き一方では一歩前へ出るバランス感覚と調和が重要であって、批判ばかりして自分は行動しないし手も汚さない気持ちもオープンにしない人物こそ憎まれるべきで、その他は多種多様性として積極的に認めてもいいのではないだろうか?普通だということも、私にとっては大変価値が高く魅力的な人物に輝いて素敵に見える。私も一方では普通の特徴の無い人物であるのはよく認知している。ただ上手くバランスが取れていない為に不安だという弱点を抱えているというだけで、充分普通の人間の資格も視覚も持っていると思う。

混乱した思考に目鼻を描かせる為にも他者のフィルタを介して世界を再度新鮮に見渡したい。そう毎日考え人恋しく思うし情けなくも思うし焦りも感じる。世界が少しも新鮮に感じられない。私が書くブログのように濃い霧に包まれている。毎日手探り状態で五里霧中で自分の本来の魅力が分からなくなって来ている。私は何者なのか?あなたは何者なのか?どちらにしろ私には旅の途中だし、これからも延々と続くだろうが早く脱しなければならない状況で藁にも縋りたい。そんな旅行記が私や私が立ち向かっていかなければならない状態を正確に反映する鏡(姿見)として、自己語りに見せかけて他者や社会を覗く鍵穴として、自分とも他者とも見分けがつかないあいまいな対話の場として、ひきこもりブログを続ける意志だけはある。

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