退屈だろうが悪い意味で退屈だろうが時間には耐えなければならない。
最近気力が沸かないし、眠いし、自分の無価値さについて考えることが多くなってきた。自己嫌悪に陥りがちなのはいつものことだとしても、アイデンティティーの崩壊と表現した方が今の気持ちにしっくりくる。しっくりとかしっかりものめいたイメージの言葉を使って見せてまだ心の余裕があるように見せている場合ではなく、シリアスなシチュエーションだ。でもブログや私自身のアイデンティティーの崩壊なんて大したことじゃないんだけど、動揺させられてばかりだ。私の気分が落ち込んでいるのはフィクションだ。私の気分が落ち込んでいるのはただの物語だ。文字で書かれているのだからただの『気分が落ち込んでいる』今の私を物語としてお話としておもしろおかしくタイプして見せているだけだし、誰もこんなブログなんて読んでない。動揺もしているけど可笑しくもある。実際笑えるし。でも楽しい文章なんか書けない。それはどうしようもないのです。それだけは主張しておきたい。ネタがないし、他人に文章を発表することで自滅的に気分が追い詰められている。停滞した生活の中ではこんなタイプの文章をタイプして見せなければ何も見せようが無い。ネタなし=出し物が無い。
私は何を話題にし誰にどういう手法で話しかければ良いのか?だらだらした怠慢な生活が永遠に延々綿々と際限なく続いて行くことを覚悟し耐えなければならない。ブログ上では耐えられない怠慢な文章でも耐えるしかないんだから、選択肢を奪われているのだから退屈な文章を書く行為に耐えなければならない。退屈な生活や間抜けな自分に耐えられても、なんの感慨も沸かない退屈な文章をアップする行為には耐えられない。この機会にリフレッシュの旅に立とうか?とか今日は考えた。そういえば今日1日を振り返ると運の良い日ではあったかもしれない。だから笑えているのかもしれない。睡眠中に良い夢を見たので、思考が睡眠中に混沌とした脳内が具体的なイメージとして映像化され抽象的な物語として整理整頓されたので心地よい快眠が取れたのかもしれない。これも運の良い出来事の1つ。私は夢の世界に移住してもいい位の良い夢を見た。夢の中と同じ世界観で現実にも心地よい気分で生活出来ないものか?前回、私は勇気は忌み嫌うべき言葉で呪いの言葉だと書いた。でも挑戦することは悪いことではない。自分自身を賭けて挑戦すべきなのかもしれない、夢の世界の実現に向けて。でも大した夢を見た訳ではない。私の混沌とした脳内を上手くイメージ化して現実世界にアトランダムに置き換えられ新鮮味を感じて気持ちが楽に平和にさせてくれて嬉しかった。私の睡眠中の映像による脳内整理だけが私の唯一充実したピースフルな時間なのかもしれない。
退屈に耐えられないし、退屈な文章を書くことにも耐えられない。だけど自虐的な気分で笑えもしている。睡眠がしっかり取れればこのように大したことはない。私の世界観が退屈なのにも耐えられるし笑えるし私を笑って欲しい。
悩んで見せているのではなく悩んでいる。しょうがない。悩み以外の事象が私の視界に入っていなく視野狭窄に陥っていようと、耐えなければならない。ひたすら耐えなければならない。他に私が果たさなければならない仕事や義務が思いつかない。
退屈だろうが悪い意味で退屈だろうが時間には耐えなければならない。
勇気という言葉以上に私自身の存在が忌み嫌われるべき呪いで呪縛かもしれない。眠い。眠くなって来た。続きは夢の中で考えるとしよう。ここのところ毎日16時間以上寝ている。眠くなるのだから抵抗しようが無い。抵抗は無意味だ。
私だっていろいろある。眠くても眠れずイライラしながらもネットをぼーっと眺めながら時間に耐えている時もある。これ以上書くと個人的な言い訳になりそうなので書かないで措く。
言い訳は醜いかもしれないが説明は美しい。
美しくたって醜くてもどちらでも構わない。冷静に観察すれば美しくてもクオリティーが低ければ特徴がないのも同じだし、醜くいのは人間的だという証だし、愛着が沸けば重要度が増す。
私には時間を稼ぎ引き伸ばす選択肢しかないように思える。ネタがなくとも退屈な文章を私は時間を稼ぎつつ引き伸ばします。明日も明後日もそうさせていただきます。その方向でどうかみなさまここはひとつ、ぜひよろしくお願い致します。
今日は真に書くことが無かった……。と記事を実際に書いて証明して見せなければこのネタがない切実さを自他共に理解して貰えない。ブログをサボる行為=怠けている=卑怯=逃げだと思われてしまう。
今日は真に書くことが無かった……。