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ただ一点に頑固に立ち尽くしているだけ

言葉が出て来ない。黙るしかない。でも書くしかない。私は内面の探求をしているというよりは、文章を書こうとしている。その結果、書かれた文章の内容は、私の内面の探求に読み取れるかもしれないが、世間話とはそういうものではないのか?自分が興味を持っていることや日常での失敗や小さな悩みや自分の日常生活をささやかな語り口で他人に語って見せることで、他人との信頼関係を築こうとする行為が世間話なのではないのだろうか?私は自分語り、自己語りというよりはインターネットさんに話しかけているだけでそれ以上でもそれ以下でもない。

でも話しかけているというより、文章を浮遊させている、浮遊させたいというのが素直な気持ちなんだが、それでは他人に説明するには分かりづらく突飛な表現で一方的だと思われてしまうと考えたので『世間話』に例えてみた。でも実際のリアルな私は世間話が苦手だ。なので代替行為として文章で自分を表現しようとしている。それが成功しているのか失敗しているのか、私には評価できない。私が私の表情を読むことができないように、私はインターネットさんの表情が読めない。なんか連戦連敗記録更新中な雰囲気が私には読み取れる。ブログ更新する度にそんな空気の匂いがする。勝ちたい。勝ち逃げたい。でも私には『勝つ』なんて芸当も『逃げる』という芸当も無理だ。ひきこもりやニートは勝っても負けてもいないし、逃げてもいない。ただ一点に頑固に立ち尽くしているだけだというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

文章を書くことは私は全面的に良い事だと思う。自分が置かれている状況を嘘偽り誇張無く説明できる能力は何にも代えがたく貴重な行為だと思う。それを他人に説明する段階は別問題で、行動するの部類に分類してみる。思考と行動は同等の価値があるし、思考すること自体も能動的行動的な行為であって、快楽でもある。行動するのも気分がすっきりするかもしれないが、文章を書いたり新鮮な論理を組み立てて遊ぶのも気分がすっきりする。他人に公開するのを意識したり全く意識していなくてもどちらでも文章を書く行為自体の快楽。瞑想することに似た人類の定番の行動様式。

私の文章に価値がないと決め付け、自分が書いている文章も同じように価値が無いと認めるのならば、それでかつ文章を書くのが楽しくないというのならば、どうしてブログを運営しているのだろうか?論拠の薄い批判的な文章をアップしているのは、何を目的とし誰を敵としているのだろうか?無知な世間vs世界を充分に知覚している自分?誰と戦っているのだろうか?私は激しく疑問だ。

私は頑張ってと言われるのも好きだ。ただ頑張ってという言い方があって気に障る時の方が多いのかもはしれないが。

私には語彙が少ないので自己嫌悪だ。近年全く本を読んでいなかったので激しく減ってしまった。豊富な語彙が必要だ。もっと多くの種類の自分の気持ちを文章で書き表したい。

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